
「殺し屋の営業術」のあらすじ(ネタバレあり)です。「殺し屋の営業術」未読の方は気を付けてください。ガチ感想も書いています。本作の主人公は、鳥井一樹という名の凄腕営業マン。彼は圧倒的な成績を誇る一方で、その心は深い虚無感に支配されていました。生きている実感さえも得られない彼が、ある出来事をきっかけに、想像を絶する世界へと足を踏み入れることになります。
ある日の深夜、鳥井は奇妙なアポイントメントを受け、依頼主である笹塚重則の邸宅を訪れます。しかし、彼がそこで目にしたのは、無残に殺害された笹塚の姿でした。状況を飲み込む間もなく、鳥井は背後から何者かに襲われ、意識を失ってしまいます。
意識を取り戻した鳥井の目の前にいたのは、風間と耳津と名乗る二人の殺し屋でした。自分が口封じのために殺される運命にあると悟った彼は、しかし命乞いをする代わりに、前代未聞の行動に出ます。それは、自らの命を賭けた、究極の営業でした。
鳥井は、彼らが所属する零細の殺し屋稼業「極東コンサルティング」が経営難に陥っていること、そして暴力団から2週間で2億円を返済するよう迫られている絶体絶命の状況にあることを見抜きます。彼は、その問題を解決できる唯一の存在として自分自身を売り込みました。
こうして、鳥井は「自身の命」と引き換えに、「2週間で2億円のノルマを達成する」という契約を結びます。彼の卓越した営業術が、企業社会ではなく、暴力と死が支配する裏社会で試されることになったのです。この契約は、彼の空虚な心を、やがて戦慄すべき何かで満たしていくことになります。
「殺し屋の営業術」のあらすじ(ネタバレあり)
主人公の鳥井一樹は36歳。訪問販売会社で18年間、常にトップの成績を収めてきた伝説的な営業マンです。彼の成功の秘訣は「継続力」「外面のよさ」、そして何より、感情に左右されない「空虚さ」にありました。
物語は、鳥井が殺し屋の風間と耳津に拉致される場面から始まります。殺害される寸前、彼は自身の営業スキルを売り込み、彼らが抱える2億円の借金を2週間で返済するという条件を提示し、命拾いをします。
こうして「殺し屋の営業マン」となった鳥井は、手始めに悪徳不動産業者の森宮兄弟に接触。彼らから半グレ集団のリーダー殺害を依頼され、最初の契約を獲得します。
しかし、この契約は業界最大手の競合「周防商会」の妨害によって失敗。森宮兄弟は殺害され、鳥井は報酬を手にすることができませんでした。
契約失敗の制裁は苛烈を極めました。鳥井は凄惨なリンチを受け、さらに彼が長年飼っていたペットのヨウムが無残に殺され、彼の目の前に差し出されます。この事件は、彼の過去との最後の繋がりを断ち切る決定的な転換点となりました。
失意の中、鳥井は新たな高額案件に挑みます。それは、ある企業の二代目社長・大川修の暗殺計画。依頼主は、その会社を乗っ取ろうと画策する「雛沢ファンド」の幹部、羽村篤史でした。
この案件には、宿敵である周防商会も名乗りを上げます。彼らを率いるのは、冷静沈着な女性エージェント・鴎木美紅と、人間離れしたナイフの使い手である巨漢の殺し屋・百舌。鳥井との全面対決が始まります。
熾烈な競争の最中、鳥井は自社の上司である風間が、敵である鴎木と裏で通じているという衝撃の事実に気づきます。彼は、自分が利用された末に殺される運命にあることを知りました。
しかし鳥井は絶望しません。彼はさらにその裏をかき、依頼主である羽村の上司、雛沢ファンドの創業者・雛沢本人と密かに接触します。そして、羽村自身の暗殺という、二重の契約を極秘に結ぶのでした。
計画実行日、鳥井の策略が完璧に炸裂します。彼は二人の標的、大川と羽村を同日に仕留め、事件を巧妙に偽装。さらに鴎木と百舌を罠にかけて葬り去り、全ての契約金を奪取。不可能とされたノルマを達成し、裏社会の新たな伝説として君臨することになるのです。
「殺し屋の営業術」の感想・レビュー
この物語が読者に突きつける最も強烈な体験は、主人公・鳥井一樹の変貌の軌跡です。物語の冒頭で描かれる彼は、誰もが羨む成功者でありながら、その内面は完全に空っぽでした。彼にとって仕事とは、生きている実感を得るための、ほとんど唯一の手段でした。しかし、その仕事でさえ、彼の心を真に満たすことはありませんでした。
この「空虚さ」こそが、本作の核心です。普通、物語の主人公が抱える欠点は、物語を通じて克服されたり、人間的な成長の糧になったりするものです。しかし、鳥井の空虚さは、克服すべき弱点ではありませんでした。それこそが、彼を最強の存在たらしめる、最大の武器だったのです。共感、倫理観、罪悪感といった人間的な感情が欠落しているからこそ、彼はどんな状況でも最適な解を導き出す、完璧な営業機械として機能します。
この物語は、鳥井が人間性を取り戻す物語ではありません。むしろ、彼が人間性の仮面を完全に脱ぎ捨て、自らの本性に最も適した活動の場を見つけ出す物語です。彼が足を踏み入れた裏社会は、彼の空虚さが何の障害にもならず、むしろ圧倒的な強みとして発揮される世界でした。これは堕落の物語というよりも、ある種の恐ろしい自己実現の物語と言えるのかもしれません。
その変貌を決定づけるのが、ペットのヨウムの死です。15年間、鳥井と共に暮らしてきたこの鳥は、彼の退屈で反復的だった、しかし「まとも」であった過去の人生の象徴でした。そのヨウムが、制裁として無残に殺され、彼の前に差し出される。このあまりにもグロテスクな出来事は、彼の心に残っていた最後の人間的な絆を、物理的に断ち切る儀式のように見えます。
この瞬間、鳥井は完全に生まれ変わります。彼の心を満たしたのは、倫理や幸福といったものではなく、生死を賭けた交渉のスリルと、完璧な計画を遂行した時の達成感でした。彼は自らの魂を売ったのではなく、自らの本性が求める最高の報酬を見つけたのです。その姿は、読者に深い戦慄と、ある種の倒錯した感動さえ与えます。
本作のもう一つの大きな魅力は、企業活動と犯罪行為の間に、不気味なほどの類似性を見出すその視点です。物語の中では、「ノルマ」「契約」「顧客」「競合他社」といったビジネス用語が、ごく自然に殺人の文脈で語られます。これは単なる言葉遊びではなく、作品の根幹をなすテーマそのものです。
極東コンサルティングは、資金繰りに苦しみ、上部組織からの圧力に喘ぐ零細企業として描かれます。一方、周防商会は、潤沢な資金と優秀な人材を擁し、市場を支配する業界最大手です。彼らが繰り広げる抗争は、高額案件という名の「市場シェア」を奪い合う、血塗られた企業戦争に他なりません。
この構図は、利益を最大化し、ライバルを市場から排除するという、冷徹な資本主義の論理が、その本質において暴力的であることを示唆しています。役員会で行われる敵対的買収と、路地裏で行われる暗殺は、使われる道具が違うだけで、その根底にある思考は同じではないか。本作は、そんな不穏な問いを私たちに投げかけます。
その世界観を体現しているのが、鳥井のライバルとして登場する鴎木美紅や、最終的な依頼主となる雛沢です。鴎木は、美貌と知性を兼ね備え、殺しのビジネスを冷静に遂行するエージェントであり、鳥井の鏡像のような存在です。また、雛沢ファンドの創業者である雛沢は、邪魔になった部下を「経営判断」として排除しようとします。彼らにとって、人の命は貸借対照表の数字の一つに過ぎないのです。
こうした描写は、作者自身の営業経験に裏打ちされたものであり、圧倒的なリアリティを持っています。ビジネス心理学や交渉術が、そのまま人を殺すための戦略に応用されていく過程は、知的興奮と同時に、深い恐怖を感じさせます。
本作は、第68回江戸川乱歩賞を受賞したことでも大きな話題となりました。一部では、伝統的な「謎解き」の要素が少ないという声もあるようですが、この受賞はミステリーというジャンルの懐の深さと、その定義が進化し続けていることを示しているように思えます。
この物語は、「誰が犯人か(Whodunit)」を問う作品ではありません。むしろ、「いかにして成し遂げたか(Howdunit)」に焦点を当てた、一種のコンゲーム(信用詐欺)小説であり、息もつかせぬ展開が続く「ジェットコースター・ミステリー」と呼ぶのがふさわしいでしょう。読者の興味は、犯人探しではなく、鳥井がいかにしてこの絶望的な状況を覆し、完璧な計画を組み立てていくか、という一点に集中します。
特に、物語のクライマックスで実行される鳥井のマスタープランは圧巻の一言です。自社の上司の裏切りを逆手に取り、二重の契約を結び、二人の標的を同日に仕留め、さらに敵対組織を一網打尽にする。全てのピースが完璧に組み合わさっていく様は、まるで複雑な詰将棋が解かれていくのを見るような快感があります。
この緻密なプロットを支えているのが、魅力的な脇役たちです。引きこもりの天才ハッカーである籠原や、老練な殺し屋の樫尾など、短い登場場面でも強烈な印象を残すキャラクターが、物語の世界に厚みを与えています。
最終的に、『殺し屋の営業術』は、読後、心にずっしりと重い何かを残す作品です。それは、社会の表と裏、ビジネスと暴力の境界線を曖昧にし、人間の心の奥底に潜む冷たい合理性を暴き出すからです。手に汗握るエンターテインメントでありながら、現代社会への鋭い批評性も兼ね備えた、忘れがたい一冊であることは間違いありません。
まとめ
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凄腕営業マンの鳥井一樹は、殺し屋である極東コンサルティングに拉致される。
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自らの営業術を売り込み、2週間で2億円のノルマを達成する条件で命拾いする。
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最初の契約は、競合の最大手・周防商会に妨害され失敗に終わる。
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制裁として、長年飼っていたペットのヨウムを惨殺され、過去の自分と完全に決別する。
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周防商会の凄腕エージェント・鴎木美紅と、ある大物社長の暗殺案件を巡って激しく争う。
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その裏で、自社の上司・風間が鴎木と内通し、自分を裏切っていた事実を突き止める。
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鳥井はさらに裏をかき、当初の依頼主の上司と密かに接触し、依頼主自身の暗殺という二重契約を結ぶ。
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計画当日、二人の標的を同時に暗殺し、あたかも一つの事件であるかのように偽装する。
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報酬の受け渡し場所で鴎木たちを急襲して全滅させ、全ての契約金を強奪する。
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ヤクザへの返済を完遂し、全ての敵を排除。裏社会の支配者として、新たな一歩を踏み出す。