「きりぎりす(太宰治)」の超あらすじ(ネタバレあり)

太宰治の短編小説「きりぎりす」は、戦時中の日本を舞台に、孤独と虚無に包まれた夫婦関係を描いた作品です。

主人公である「私」は、作家としての仕事に情熱を注いでいますが、戦時中の厳しい生活に苦しみ、日常に対する苛立ちを抱えています。

妻ヨシ子は美しくも気性が激しく、夫に対して冷淡で自己中心的な態度をとります。彼女の行動は、夫婦関係をさらに悪化させ、「私」にとって深い孤独感を抱かせる原因になります。

物語の中で象徴的に登場するコオロギの音は、「私」の内面の孤独や不安を映し出し、戦時中の日本社会における人間関係の脆さを暗示しています。

太宰治はこの作品を通して、芸術家の生きづらさと戦時中の日本社会が抱える不安や人間関係の矛盾を描き出しています。「きりぎりす」は夫婦の冷えた関係を通じて、人生の空虚さや愛と憎しみの交錯を浮き彫りにしています。

この記事のポイント
  • 夫婦関係の冷淡さ
  • 主人公「私」の孤独感
  • 戦時中の日本の生活背景
  • コオロギが象徴するもの
  • 太宰治のテーマの表現

「きりぎりす(太宰治)」の超あらすじ(ネタバレあり)

物語の始まりで、語り手である「私」は作家として生活していますが、戦時下の日本では、文学に対する理解や価値が薄れつつある時期です。それでも彼は自分の芸術活動に情熱を抱き続け、文学を通じて生きる意味を見出そうとしています。

一方で彼の妻ヨシ子は、非常に美しい女性ですが、神経質で気難しい性格をしています。ヨシ子は生活に対して多くの不満を抱えており、夫に対しても冷淡かつ辛辣な態度を取ります。彼女は自己中心的であり、夫の仕事に対する理解を示さず、家計の苦しさや生活の不便に苛立ちを募らせています。

ヨシ子は、家事や子育てにもあまり熱心ではなく、夫に全てを任せようとする一方で、周囲の人々に対しては愛想良く振る舞います。彼女は友人たちと楽しげに談笑し、他人の前では笑顔を見せますが、夫である「私」に対しては冷たく、愛情の欠片も見せません。この「二重の顔」を持つヨシ子の姿に、「私」は次第に心の中に孤独と苛立ちを募らせるようになります。

「私」は、ヨシ子に対してかつて愛情を抱いていましたが、今ではその感情が少しずつ疲れと嫌悪に変わりつつあることを自覚しています。彼は、彼女の存在に対して苛立ちと無力感を感じる一方で、ヨシ子を嫌い切ることもできず、複雑な感情に悩まされ続けます。

ヨシ子はさらに、生活の不満を抑えきれず、「私」に対して容赦ない言葉で責め立てます。彼女の言葉は刺々しく、まるで相手の感情を考えないかのように聞こえます。「私」はその攻撃に対して反論することもできず、ただその冷たい言葉を受け流すしかありません。戦時中という社会情勢の厳しさもあって、彼は何も言い返すことができず、次第に心が摩耗していくのを感じます。

物語の中で「私」が孤独に包まれる描写が続く中、彼は家の中で聞こえるきりぎりす(コオロギ)の鳴き声に気づきます。その音は静かな夜に響き渡り、どこか寂しさと不安をかき立てるような響きです。きりぎりすの鳴き声は、まるで「私」の内面の孤独を象徴するかのように描かれており、「私」はその音に無意識に耳を傾けてしまいます。

やがて、ヨシ子の怒りが頂点に達し、彼女は家を出て行ってしまいます。突然の出来事に「私」は驚く一方で、どこかほっとしたような感覚を覚えます。彼は一時的に自由と平穏を得ますが、家の中に残された静けさと虚しさが彼の心を覆い始めます。

ヨシ子の不在は彼にとって一時的な安堵をもたらしますが、同時に深い孤独も伴います。彼は自分が一人になったことに気づき、彼女との生活がどれほど自分にとって支えだったのか、そしてそれが同時に負担でもあったのかを実感します。彼はヨシ子がいなくなった生活に慣れつつあるものの、心のどこかで彼女を求める気持ちを否定できずにいます。

最終的にヨシ子は再び家に戻ってきますが、二人の関係は何も変わらず、再び同じ日常が繰り返されることになります。ヨシ子の不在がもたらした一時的な平穏も束の間のものであり、彼女が戻ってきたことで、「私」の生活は再び冷淡さと苛立ちに満ちた日々へと逆戻りします。

物語の最後では、きりぎりすの鳴き声が再び響き、「私」はその音に耳を傾けながら、何も変わらない日常を生きることの虚しさと孤独を感じます。

太宰治はこの作品を通じて、戦時中の不安定な日本社会における人間関係の脆さや、夫婦間の愛憎の矛盾を浮き彫りにしています。また、きりぎりすの鳴き声を象徴的に用いることで、登場人物の内面的な孤独や人生の空虚感を暗示し、芸術家としての「私」が感じる生きづらさを通じて、戦争の影響を受けた人間の本質に迫ろうとしています。

「きりぎりす(太宰治)」の感想・レビュー

太宰治の小説「きりぎりす」は、戦時中の日本を背景に、夫婦の冷淡な関係と主人公の孤独を描いた作品です。作品の主人公である「私」は、芸術への情熱を抱く作家であり、戦時中の混乱にも関わらず文学活動に取り組み続けています。しかし、彼の妻であるヨシ子は、彼の仕事に理解を示さず、むしろ冷たい態度をとる女性として描かれています。

ヨシ子は非常に美しい女性ですが、気性が激しく、夫に対して苛立ちや自己中心的な態度を露わにします。「私」は妻に愛情を感じながらも、彼女の冷たさや不満に心が疲弊していきます。この作品の中で、ヨシ子は「私」に対しては厳しい言葉を浴びせながらも、他人には愛想良く振舞います。彼女の二面性は、「私」の孤独感をさらに深め、彼が感じる疎外感や孤独が強調されます。

また、太宰治は物語の中で「コオロギ(きりぎりす)」を象徴的に登場させています。コオロギの鳴き声は、「私」が感じる孤独や虚無感を象徴するものであり、その響きは夜の静寂の中で際立ち、「私」の心に暗い影を落とします。このコオロギの音は、まるで戦時中の日本社会が抱える不安定さや人間関係の脆さを暗示しているかのようです。太宰治はこの鳴き声を通して、戦時中における人間の孤独や心の弱さ、そして誰もが抱える虚しさを表現しています。

さらに、「きりぎりす」では、ヨシ子が家を一時的に出ていくエピソードが描かれます。彼女が家を出ていくことで、「私」は一時的に安堵の感情を抱きますが、その後に訪れる静寂の中で、彼は自身の孤独に気づきます。ヨシ子が不在の時間が続く中で、「私」は彼女との関係の意味や、自分が彼女にどれほど依存していたのかを実感するのです。

最終的にヨシ子が戻ってくることで、彼らの生活は再び元の冷淡な日常へと戻っていきます。「私」は、妻が戻ってきても関係が改善されることはなく、また同じような日常が続いていくという虚しさに気づきます。太宰治は、こうした結末を通じて、夫婦関係の中で一度生じた溝が容易には埋められないことや、戦時中という状況下での人間の孤独や不安がどのように表出するかを巧みに描写しています。

「きりぎりす」は、戦争がもたらす生活の不安や心の葛藤を背景に、人間関係の壊れやすさや、夫婦間における愛憎の矛盾を浮き彫りにしています。

まとめ:「きりぎりす(太宰治)」の超あらすじ(ネタバレあり)

上記をまとめます。

  • 主人公「私」は作家である
  • 妻ヨシ子は自己中心的な性格である
  • 夫婦関係は冷え切っている
  • 戦時中の日本が舞台である
  • 生活の困難が夫婦関係を悪化させる
  • ヨシ子は他人には愛想が良い
  • 夫の文学活動を理解しない妻が描かれる
  • コオロギの鳴き声が孤独を象徴する
  • 主人公は深い孤独を感じている
  • 太宰治のテーマは人間関係の脆さである