
「Blue」の物語の核心(結末に触れています)です。「Blue」未読の方は気を付けてください。ガチで心に響いたポイントも書いています。この物語は、性のありように揺れ動く一人の若者と、彼を取り巻く人々の繊細な心の機微を描き出しています。高校時代、女子として演劇に打ち込んだ主人公が、数年の時を経て、予期せぬ姿でかつての仲間たちの前に現れるところから、物語は深く静かに動き出します。
私たちが抱える「自分らしさ」とは何か、そして他者とどう関わり合っていくのか。そんな普遍的な問いを、主人公の切実な姿を通して突きつけられるような作品です。彼の選択、迷い、そして再生への道のりは、読む者の心を強く揺さぶることでしょう。特に、彼が再び「人魚姫」と向き合う場面は、物語の大きな見どころの一つと言えます。
この記事では、そんな「Blue」の物語の全容と、私が感じ取った作品の魅力について、詳しくお話ししていきたいと思います。彼の心の軌跡を追いながら、この物語が私たちに何を語りかけてくるのか、一緒に考えていきませんか。物語の結末まで触れていますので、まだお読みでない方は、その点をご留意いただければ幸いです。
そして、私がこの作品から受け取った深い感動や、考えさせられた点についても、余すところなくお伝えできればと思っています。単なる物語の紹介に留まらず、一読者としての熱い思いを込めて綴りますので、どうぞ最後までお付き合いください。
「Blue」のあらすじ(ネタバレあり)
物語は、高校三年生の朝倉真砂が主人公です。彼はトランスジェンダーであり、男子として生まれましたが、高校では女子生徒「真砂」として生活し、演劇部に所属しています。文化祭で上演する「人魚姫」では、主役の人魚姫ミアを演じることになりました。脚本は、部長の宇内瑠美が片想いする同級生、滝上ひかりが担当。ひかりの書く脚本は、ミアの心情や王子、王女への想いを深く掘り下げ、「人魚には魂がなく、人間に愛されることで魂を得る」というテーマが浮かび上がります。稽古を通して、真砂はミアの役に深く共鳴していきます。
真砂の過去にも焦点が当てられます。中学時代は男子サッカー部に所属していましたが、自身の性への違和感は常にありました。高校進学を機に、女子として生きることを決意。両親の理解も得て、「正雄」から「真砂」へと名前も変えました。演劇部では、その中性的な魅力から女性役を多くこなし、充実した日々を送っていました。しかし、高校卒業から三年後、演劇部の仲間たちとの再会の場で、皆の前に現れたのは、男性「眞青」としての彼でした。母校の演劇部が「人魚姫」を再演するという話が持ち上がりますが、眞青は今の自分ではミアを演じられないと告げます。
眞青は、大学進学後に性転換手術を計画していたものの、コロナ禍でアルバイトができず資金繰りが難航したこと、そして医療体制の逼迫によりホルモン治療が中断してしまったことを語ります。その結果、彼の身体は男性化が進み、女性の心を持った男性として生きることを余儀なくされたのでした。そんな失意の中にいた眞青の前に、榊葉月という不幸な恋愛を繰り返す女性が現れます。葉月をダメな男から引き離したいと思う眞青ですが、彼女を繋ぎ止めることはできません。眞青の話を聞いた滝上ひかりは、意外にも「今の姿でミアをやればいいんじゃない」と軽く言い放ちます。
戸惑いつつも、眞青は仲間たちと共に母校を訪れ、後輩たちの「人魚姫」の稽古を見学します。その夜、実家に帰らない眞青は、ひかりの家に泊まることになります。ひかりはネットで百合小説を発表しており、人間関係において自由であることを望む人物でした。そこで眞青は、葉月から恋人の嫉妬を理由に関係を絶つという連絡を受けます。葉月を失いたくない眞青は「自分を選んでほしい」と訴えますが、拒絶されてしまいます。葉月との関係が終わりを告げた夜、眞青はひかりが書いた小説を静かに読み始めるのでした。物語は、眞青が自身の性とどう向き合い、未来へどう歩みを進めていくのか、読者に深い余韻を残して終わります。
「Blue」の感想・レビュー
川野芽生さんの「Blue」を読み終えた今、私の心には静かで、しかし確かな波紋が広がっています。この物語は、単にトランスジェンダーの主人公の苦悩を描いた作品というだけではありません。それは、「自分とは何か」「他者とどう生きるか」という、私たち誰もが抱える根源的な問いを、深く、そして痛切に描き出した、魂の物語だと感じました。
主人公である朝倉真砂、のちに眞青と名乗る彼の生き様は、読む者の心を掴んで離しません。高校時代、彼は「真砂」として、女性の制服を身にまとい、演劇部で輝きを放ちます。特に「人魚姫」のミア役を演じる姿は、彼自身が抱える魂の渇望と重なり合い、痛々しいほどの美しさを感じさせます。人魚姫は、人間の王子に愛されることで魂を得ようとしますが、真砂もまた、他者からの承認や愛を通じて、自身の存在を確かなものにしたいと願っているように見えました。彼の「女性になりたい」という願いは、単なる性別移行への渇望というよりも、もっと根源的な「何者かになりたい」「ここに存在していいのだと肯定されたい」という叫びのように私には聞こえたのです。
しかし、物語は彼に安易な救いを与えません。大学進学後、コロナ禍という予期せぬ社会の変化は、彼が計画していた性転換手術への道を閉ざし、ホルモン治療の中断によって、彼の身体は再び男性へと回帰していきます。この現実は、彼にとってどれほど過酷なものだったでしょうか。一度は手に入れたかに見えた「女性としての自分」を奪われ、再び性の揺らぎの中に突き落とされる絶望。眞青となった彼が、かつての演劇仲間たちの前に姿を現した時の、あの何とも言えない痛ましさと、それでもなお保とうとする矜持のようなものが入り混じった表情が目に浮かぶようです。
この物語の巧みさは、主人公・眞青の苦悩だけでなく、彼を取り巻く人々の描写にもあります。特に印象的なのは、滝上ひかりという存在です。彼女は、どこか掴みどころがなく、飄々としていながら、物事の本質を見抜くような鋭さを持っています。眞青が自身の変化に苦しみ、「もうミアは演じられない」と告白した時も、ひかりは「やればいいんじゃない」と、まるで何のてらいもなく言い放ちます。この言葉は、一見無責任にも聞こえるかもしれませんが、実は深いところで眞青の魂を肯定しているのではないでしょうか。ひかりの目には、外見や性別といった表層的なものではなく、眞青という人間の本質が見えているのかもしれません。彼女の存在は、眞青にとって、そして読者にとっても、ある種の救いのように感じられました。彼女の書く物語、そして彼女自身の生き方が、眞青に新たな視点を与えていく様は、非常に興味深いものでした。
そして、もう一人、榊葉月という女性の存在も忘れてはなりません。彼女は、いわゆる「ダメ男」に惹かれてしまう、どこか危うげな魅力を持つ女性です。眞青は、葉月を救いたいと願い、彼女に手を差し伸べようとしますが、その関係はどこか歪で、共依存的ですらあります。葉月は眞青を男性としては見ていないと言いながら、眞青は葉月を失うことを恐れる。この関係性は、眞青が抱える孤独や、誰かに必要とされたいという切実な願いを映し出しているように思えました。最終的に葉月との関係が終わってしまうことは、眞青にとって大きな喪失であったでしょうが、同時に、彼が新たな一歩を踏み出すための、ある種の通過儀礼だったのかもしれません。
「Blue」というタイトルが示すように、この物語全体を覆っているのは、どこか青みがかった、切なくも美しい空気感です。青は、時に憂鬱や悲しみを象徴し、時に若さや未熟さを表し、また時には広大な空や海のような希望をも感じさせる色です。眞青の心象風景は、まさにこの「青」の多義性と重なり合います。彼の抱える痛み、揺らぎ、そして微かな希望。それらが複雑に絡み合いながら、物語は静かに進行していきます。
演劇「人魚姫」のモチーフが、作品全体を通して非常に効果的に使われている点も、この物語の大きな魅力です。声と引き換えに人間の足を得た人魚姫。彼女は愛する王子と共にありたいと願いますが、その想いは成就しません。真砂が演じたミアは、まさに彼自身の魂の象徴であったと言えるでしょう。人魚姫が魂の獲得を渇望したように、眞青もまた、確固たる自己と、他者との真実の繋がりを求め続けます。彼が男性の姿に戻った後、再び「人魚姫」と対峙する場面は、この物語のクライマックスの一つであり、彼が自身の過去と現在、そして未来をどう見つめ直すのか、息をのんで見守りました。
川野芽生さんの文章は、繊細で詩的でありながら、登場人物たちの生々しい感情を巧みに描き出しています。特に、眞青の心の揺らぎや、周囲の人々との間に流れる微妙な空気感を捉える筆致は見事です。派手な出来事が起こるわけではありませんが、日常の中に潜む小さな亀裂や、ふとした瞬間にこぼれ落ちる本音が、読者の心に深く刻まれます。
この作品を読み終えて、私は改めて「普通とは何か」「幸せとは何か」ということを考えさせられました。眞青の生き方は、決して平坦なものではありません。しかし、彼の苦悩や葛藤は、形は違えど、私たち誰もが抱える「生きづらさ」とどこかで通じているのではないでしょうか。社会が作り上げた規範やカテゴリーに収まりきらない魂の叫びが、この物語には満ちています。そして、それに対する明確な答えを提示するのではなく、読者一人ひとりに静かに問いかけてくるのです。
「Blue」は、現代社会が抱える様々な問題、特に性の多様性やアイデンティティのあり方について考える上で、非常に示唆に富んだ作品です。しかし、それ以上に、これは一人の人間が懸命に生きようとする姿を描いた、普遍的な物語なのだと思います。眞青が、ひかりの言葉や彼女の書く物語に触れることで、ほんの少しでも前を向く力を得たように、私たち読者もまた、この物語から何かを受け取ることができるはずです。それは、他者への想像力であったり、自分自身の内面と向き合う勇気であったりするのかもしれません。
読み終えた後も、眞青やひかり、そして葉月の面影が心に残り、彼らの未来に想いを馳せてしまいます。この深い余韻こそが、「Blue」という作品の持つ力の証なのでしょう。多くの人に手に取ってほしい、そして、この物語が投げかける静かな問いに耳を澄ませてほしいと、心から願っています。それはきっと、あなた自身の心の奥底にある何かと共鳴する体験になるはずですから。
まとめ
- 「Blue」は、トランスジェンダーの主人公・朝倉真砂(のちの眞青)の性の揺らぎと成長を描いた物語です。
- 高校時代、真砂は女子として生活し、演劇部で「人魚姫」の主役を演じます。
- 脚本を担当する滝上ひかりは、真砂にとって重要な存在となっていきます。
- 高校卒業から3年後、真砂は男性の「眞青」として仲間たちの前に現れます。
- 眞青は大学時代に性転換手術を計画していましたが、コロナ禍でホルモン治療が中断し、男性化が進んでしまいます。
- 失意の眞青は、不幸な恋愛を繰り返す女性・榊葉月と出会い、複雑な関係を築きます。
- 母校の演劇部が「人魚姫」を再演する話が持ち上がり、眞青は自身の現状と向き合うことになります。
- 滝上ひかりは、変わった姿の眞青に対し、再び「人魚姫」を演じることを勧めます。
- 物語の終盤、眞青は葉月との関係に終止符を打ちます。
- 眞青は、ひかりの家に泊まった夜、彼女が書いた物語を読むことで、新たな一歩を踏み出す予感を漂わせます。