「川っぺりムコリッタ」の超あらすじ(ネタバレあり)

「川っぺりムコリッタ」のあらすじ(ネタバレあり)です。「川っぺりムコリッタ」未読の方は気を付けてください。ガチ感想も書いています。この物語は、なんだかうまくいかない日々を送っている人、ちょっとだけ人との関わりが面倒だと感じている人に、そっと寄り添ってくれるような温かさがあります。

主人公の山田は、刑務所を出所したばかり。北陸の小さな町で、イカの塩辛工場に職を得て、川っぺりに建つ古びたアパート「ハイツムコリッタ」で新しい生活を始めます。彼は誰とも深く関わらず、ひっそりと静かに暮らしたいと願っていました。お風呂上がりに飲む一杯の牛乳だけが、ささやかな楽しみです。

しかし、そんな山田の思いとは裏腹に、隣人の島田をはじめとするアパートの住人たちは、遠慮なく彼の日常にずかずかと入り込んできます。最初は戸惑い、距離を置こうとする山田でしたが、彼らとの奇妙な共同生活の中で、少しずつ心が解きほぐされていくのを感じるのです。

ある日、山田のもとに、幼い頃に別れたきりの父親が孤独死したという知らせと、遺骨の引き取りを求める連絡が届きます。ほとんど記憶のない父親の「死」と向き合うことになった山田。そして、ハイツムコリッタの住人たちと、思いがけない形でお葬式をあげることになるのですが…。

「川っぺりムコリッタ」のあらすじ(ネタバレあり)

刑務所で30歳を迎えた山田は、出所後、北陸の小さな町にある塩辛工場で働き始めます。「ハイツムコリッタ」という名の、川沿いに建つ古びた木造アパートが彼の新しい住まいとなりました。過去にいろいろあった彼は、これ以上誰とも関わりたくないと、心を閉ざして生きていこうと決めていました。唯一の慰めは、仕事から帰って入る風呂と、その後に飲む冷たい牛乳でした。

そんな山田の静かな生活は、隣室の島田によってあっけなく破られます。島田は、初対面でいきなり「風呂を貸してくれ」と頼んでくるような、なんとも厚かましい男。他にも、大家でシングルマザーの南さんや、墓石の訪問販売をしている物静かな溝口さん親子など、個性的というか、少し変わった人々がハイツムコリッタには暮らしていました。山田は彼らとの距離を測りかねながらも、いつの間にかその輪の中にいることになります。

ある日、市役所から山田へ一通の手紙が届きます。それは、幼い頃に生き別れた父が亡くなり、遺骨を引き取ってほしいという内容でした。父親に対して何の感情も持てない山田は、どうすべきか悩みますが、島田の「どんな父親でも、いなかったことにはできない」という言葉に背中を押され、遺骨を引き取りに行くことを決意します。

父の遺骨と対面した山田は、父の最期を知るうちに、自分と父の間にあった意外な共通点に気づき、思わず笑いがこみ上げてくるのでした。そして、ハイツムコリッタの住人たち、そして島田の幼馴染であるお寺の住職ガンちゃんも加わり、ささやかながらも心のこもった父の葬儀が執り行われます。美しい夕焼け空の下、山田は父の遺骨を川に散骨し、ムコリッタの住人たちとの不思議な縁の中で、新たな一歩を踏み出すのでした。

「川っぺりムコリッタ」の感想・レビュー

荻上直子さんの作品に触れると、いつも心がふわりと軽くなるような、それでいてずっしりとした確かな温もりを受け取るような、そんな不思議な感覚に包まれます。「川っぺりムコリッタ」もまた、そのような荻上さんならではの優しいまなざしに満ちた物語でした。読み終えた後、しばらくの間、登場人物たちの顔や、彼らが交わした何気ない言葉、そしてハイツムコリッタのあの少し寂れた、だけれども温かい風景が頭から離れませんでした。

物語の主人公である山田は、過去に犯した罪を背負い、ひっそりと息を潜めるように生きていこうとしています。彼の心は固く閉ざされ、他人との間に見えない壁を築いているかのようです。その孤独感、誰にも頼れないという諦めのようなものは、現代社会を生きる私たちにとっても、どこか他人事ではないように感じられるのではないでしょうか。私たちは皆、多かれ少なかれ、心の中に誰にも見せない部分や、触れられたくない過去を抱えて生きているのかもしれません。山田の抱える寂しさや、人との関わりを避けようとする姿は、そうした私たち自身の心の影を映し出しているようにも思えました。

そんな山田の前に現れるのが、ハイツムコリッタの住人たちです。特に隣人の島田は、強烈な存在感を放っています。馴れ馴れしくて、デリカシーがないように見えるけれど、彼の行動には不思議と悪意が感じられません。むしろ、そのあっけらかんとした振る舞いが、山田の心の扉を少しずつ、しかし確実に開いていくのです。島田が山田の部屋に上がり込んできて、勝手に風呂に入ったり、食事を共にしたりする場面は、最初は少しハラハラしながらも、次第に微笑ましく感じられるようになっていきます。現代では希薄になりがちな、人と人との「おせっかい」とも言えるような関わりが、ここでは救いとして描かれているのが印象的でした。

大家の南さんと娘のカヨコ、そして墓石のセールスマンである溝口さんと息子の洋一。彼らもまた、それぞれに何かを抱えながら生きています。大きな事件が起こるわけでも、劇的な人間ドラマが展開されるわけでもありません。けれど、彼らが織りなす日常の断片は、とても愛おしく、心に残ります。例えば、みんなで誰かの部屋に集まって、何気ない会話をしながら食卓を囲むシーン。そこには、血の繋がりや社会的な立場を超えた、人間同士の素朴で温かい繋がりがあります。荻上さんの作品では、「食」が重要なモチーフとして描かれることが多いですが、「川っぺりムコリッタ」においても、共に食事をするという行為が、人と人との心の距離を縮める大切な時間として描かれていました。誰かと一緒にご飯を食べるという、ただそれだけのことが、こんなにも心を温めてくれるのだと改めて気づかされます。

物語の大きな転換点となるのは、山田が亡き父の遺骨を引き取る場面です。山田にとって、父親はほとんど記憶のない存在であり、その死に対しても何の感慨も湧きません。しかし、遺骨と向き合い、父の最期を知る中で、山田の心に変化が生まれます。特に、父親が自分と同じように、風呂上がりに牛乳を飲むことを楽しみにしていたと知るシーンは、胸に迫るものがありました。ほんの些細な共通点。けれど、その発見が、山田と父親との間に、見えないけれど確かな繋がりを与えてくれたのではないでしょうか。そして、その繋がりは、山田が自分自身と向き合い、過去を受け入れていくための小さな一歩になったように感じます。

「ムコリッタ」という言葉は、作中では「無縁仏の冥福を祈り供養する」といった意味合いで語られます。誰にも弔われず、忘れ去られていく魂。しかし、この物語では、たとえ血の繋がりがなくても、たとえ立派な墓がなくても、誰かが誰かを思い、弔うことの尊さが描かれています。ハイツムコリッタの住人たちが、山田の父親のために手作りの葬式をあげるシーンは、この物語のクライマックスであり、温かい涙を誘います。それは、従来の形式にとらわれない、けれど心のこもった弔いの形でした。そして、その弔いは、山田の父親のためだけではなく、残された山田自身や、他の住人たちの心をそっと癒していくかのようでした。私たちは、誰かの死を通して、生きることの意味を問い直すのかもしれません。

荻上直子さんの描く世界は、いつもどこか少しだけ現実から浮遊しているような、独特の空気感があります。それは、現実逃避のファンタジーとは違います。むしろ、現実の厳しさや寂しさをきちんと見つめた上で、それでもなお、人と人との間に生まれるささやかな希望や温もりを描き出そうとするからこそ、そのような独特の質感が生まれるのではないでしょうか。「川っぺりムコリッタ」の登場人物たちは、決して完璧な人間ではありません。欠点を抱え、不器用で、どうしようもない部分も持っています。しかし、だからこそ愛おしく、彼らが互いに寄り添い、不完全さを補い合いながら生きていく姿に、私たちは励まされるのかもしれません。

この物語を読み終えて、ふと空を見上げたくなりました。そして、自分の周りにいる人たちのことを、いつもより少しだけ優しい気持ちで思い浮かべることができました。すぐに何かが解決するわけではないし、劇的に人生が変わるわけでもない。けれど、日々の暮らしの中に、小さな幸せや喜びを見つけ出すこと。そして、誰かと繋がっていることの温かさを感じること。そんな当たり前のようでいて、実はとても大切なことを、「川っぺりムコリッタ」は思い出させてくれます。

もし、あなたが日々の生活に少し疲れを感じていたり、人との関係に臆病になっていたりするのなら、この物語を手に取ってみてください。きっと、山田やハイツムコリッタの住人たちが、あなたの心にそっと寄り添い、温かい光を灯してくれるはずです。特別なことは何も起こらないかもしれないけれど、読み終わった後には、世界が少しだけ優しく見えるようになっているかもしれません。そんな、静かで、それでいて深い余韻を残してくれる作品でした。

まとめ

「川っぺりムコリッタ」は、孤独を抱えた主人公・山田が、川っぺりのアパート「ハイツムコリッタ」の個性的な住人たちとの出会いを通して、少しずつ心を開き、再生していく物語です。派手な出来事はありませんが、日常の中に散りばめられた小さな優しさや温もりが、じんわりと心に沁み渡ります。

人と人との繋がりとは何か、本当の豊かさとは何かを、静かに問いかけてくるような作品です。読み終えた後、きっとあなたの心にも、ささやかだけれど確かな希望の灯がともるのではないでしょうか。心が少し疲れた時に、そっと開いてみたくなる一冊です。