いしいしんじ「ある一日」の超あらすじ(ネタバレあり)

『ある一日』のあらすじ(ネタバレあり)です。『ある一日』未読の方は気を付けてください。ガチ感想も書いています。

いしいしんじさんの『ある一日』は、43歳で再び命を授かった園子と、彼女を支える夫・慎二の物語です。一度流産を経験している園子にとって、今回の妊娠はまさに最後のチャンス。彼女は自然分娩を強く望み、夫とともにその日を待ちます。

京都を舞台に、彼らの日常は細やかに描かれます。鴨川沿いの古い一軒家で、季節の食材を大切にしながら暮らす夫婦。眼科医との出会いや、ご近所の地蔵掃除といった些細な出来事が、この物語に温かい息吹を与えています。

出産予定日を迎え、いよいよ陣痛が始まる園子。不安と期待が入り混じる中、彼女は無事に男の子を出産します。その瞬間は、夫婦にとって忘れられない「ある一日」となります。

しかし、物語は単なる出産に留まりません。生まれたばかりの命と、遠く離れた場所で新たな生を受けた人々が重ねられ、命の連鎖や広がりが示唆されます。

この作品は、生命の神秘、夫婦の深い愛情、そして日常の中に潜むささやかな幸福を繊細な筆致で描き出しています。読み終えた後も、心にじんわりと温かい余韻が残る、そんな一冊です。

『ある一日』のあらすじ(ネタバレあり)

園子と慎二は、京都の鴨川沿いにある古い一軒家で暮らしていました。二度目の妊娠となる園子は43歳。以前に一度流産を経験しているため、今回の出産には人一倍強い思いを抱いています。

彼女は医療介入を最小限に抑えた自然分娩を強く望んでおり、痛み止めや帝王切開はできる限り避けたいと考えていました。夫の慎二も、そんな園子の意思を尊重し、全面的にサポートする覚悟でいます。

出産予定日の10月13日を迎えましたが、赤ちゃんはまだ生まれる気配がありません。定期検診の後、園子は最近視力が低下していたため、木屋町の眼科を訪れます。

そこで出会ったのは、話好きで気前の良い眼科医。待合室の水槽で飼われているウナギの話を聞き、マリアナ海溝から4000キロも泳いできたというその生命力に、園子は静かな感動を覚えます。

眼科を出た園子は、夕食の食材を求め錦小路へ。ウナギではなく、季節のハモを選びます。家に帰ると、ご近所との持ち回りになっている地蔵の祠(ほこら)を掃除し、線香を供えて手を合わせる園子。そこには、この土地に根差した人々の暮らしと、命への敬意が息づいています。

夕食にハモのしゃぶしゃぶを食べていた園子に、突然の腹痛が襲います。慌ててタクシーで丸太町通の産院へと向かう二人。案内されたのは、403号室という宿泊施設のような部屋でした。

園子のカバンには、安産・子宝の神社として知られる岡崎神社の護符と、石のうさぎの置き物。助産師の姿も、どこかうさぎのように見えます。出産のすべては、入院前に記入した「バースプラン」に従って進められます。

院長は園子の希望する自然な方法での出産を尊重しますが、母体に危険が迫れば切開も辞さない覚悟です。陣痛が激しくなった園子は処置室へと移され、その体の中で小さな「いきもの」が目を開くのを感じます。

やがて、「いきもの」は数百キロもの川をさかのぼり、大きく広げられた光の中心に抱き止められます。意識が遠のく園子の手を、慎二はそっと握りしめています。

母子ともに健康であることが確認されると、院長は次の出産のために立ち去ります。赤ちゃんはプラスチックの移動式ベッドに寝かされ、403号室へ。慎二は一晩中、妻と息子のもとを離れるつもりはありません。

慎二は園子が好きなクラシックのピアノ曲をかけようとしますが、間違ってラジオの電源を入れてしまい、夕方のニュースが流れてきます。チリのサンホセ鉱山に2カ月以上閉じ込められていた作業員たちが救出されたというニュース。69歳のマリオ・ゴメスという男性が「新しく生まれ変わったよう」とコメントしたと伝えています。

夕暮れ時、京都の片隅で我が子を抱きしめる慎二の耳には、地球の裏側で土まみれになった英雄たちへの歓声が、まるで聞こえてくるかのように感じられたのでした。

『ある一日』の感想・レビュー

いしいしんじさんの『ある一日』を読み終えて、まず心に響いたのは、その透明感あふれる文章でした。まるで、静かな水面に光が差し込むかのように、ひとつひとつの言葉が研ぎ澄まされ、情景がありありと浮かび上がってきます。京都という舞台が、またこの物語に特別な奥行きを与えているように感じます。鴨川のせせらぎ、路地裏の気配、古くからの町並みが、園子と慎二の穏やかな日常を包み込んでいました。

この作品は、43歳で再び命を宿した園子という女性の物語を中心に据えながらも、単なる出産のエピソードに留まらない、生命そのものへの深い洞察が感じられます。一度流産を経験している園子にとって、今回の妊娠がいかに重く、そして尊いものであるか。その切実な思いが、行間からひしひしと伝わってきました。彼女が自然分娩を強く望む姿勢も、単なる信念というよりも、過去の経験からくる、命へのひたむきな願いのように思えます。

夫の慎二の存在も、この物語において非常に大きいと感じました。彼は常に園子に寄り添い、彼女の意思を尊重し、静かに支え続けます。言葉数は多くないかもしれませんが、その行動ひとつひとつに、深い愛情と信頼が込められているのが分かります。夫婦の間に流れる、穏やかで確かな絆が、読んでいる私の心にも温かい光を灯してくれました。

物語の中盤で登場する、木屋町の眼科医との出会いも印象的でした。彼が語るウナギの話は、単なるエピソードではなく、作品全体に流れる「生命の連鎖」というテーマを象徴しているように感じられます。遥かなる旅路を経て、新たな場所で生きるウナギの姿は、まさにこの物語の登場人物たちのようでもあります。そして、人間もまた、地球という大きな生命の循環の一部であることを示唆しているようでした。

錦小路での買い物や、ご近所の地蔵掃除といった日常の描写が、とても心地よく響きました。現代社会において、とかく忘れられがちな地域コミュニティの温かさや、昔ながらの習わしが大切にされている様子が描かれることで、物語に確かな土壌が与えられています。使い捨てのルールよりも、お地蔵さんへの敬意が優先される。そうした価値観が、この物語の根底に流れる「尊ぶ心」をより際立たせているように感じました。

そして、ハモのしゃぶしゃぶという、季節の食材を生かした食卓の描写もまた、この作品の魅力の一つです。園子が作る料理の数々は、単なる食事ではなく、命を育む行為そのものとして描かれています。食を通じて、自然の恵みを享受し、生命を繋いでいく。そうした営みが、非常に丁寧に、そして美しく表現されていました。

出産シーンは、物語のハイライトと言えるでしょう。陣痛の苦しみ、不安、そしてやがて訪れる安堵。そのすべてが、研ぎ澄まされた言葉で紡がれています。特に、「小さな『いきもの』が目を開いた」という表現には、深い感動を覚えました。それは単なる赤ちゃんが生まれた瞬間ではなく、新たな生命がこの世に誕生する神秘を、読者もまた共有できるような、そんな感覚に陥ります。

物語の終盤、チリの鉱山での作業員救出のニュースが流れる場面は、非常に象徴的でした。地球の裏側で、命の危機から生還した人々と、京都の片隅で生まれたばかりの赤ちゃんが、同時に「新しい生」を体験している。この対比が、個人の物語を超えて、地球規模での生命の力強さ、そして連帯感を強く感じさせます。マリオ・ゴメスの「新しく生まれ変わったよう」という言葉は、まさに園子の心境とも重なるものがあるのではないでしょうか。

いしいしんじさんの文章は、決して派手さはないけれど、ひとつひとつの言葉に深い意味と温かさが宿っているように感じます。余計なものを削ぎ落とし、本質だけをすくい取ったような筆致は、読者の心に静かに、しかし確実に染み渡っていきます。読み終えた後も、その余韻は長く残り、生命の尊さや、日常の中にあるささやかな幸福について、改めて考えさせてくれる作品でした。

この物語は、大きなドラマがあるわけではありません。しかし、だからこそ、日常の中にこそ真の輝きがあるのだと教えてくれます。愛する人と共に生き、新しい命を育むこと。そのシンプルでありながら、最も大切な営みが、いしいしんじさんの手によって、こんなにも美しく描かれることに感動しました。

『ある一日』は、読む人それぞれの心に、それぞれの「ある一日」を呼び起こすような、そんな力を持った作品だと思います。ぜひ、この静かで温かい物語に触れてみてください。きっと、あなた自身の「命」や「日常」を見つめ直すきっかけを与えてくれるはずです。

まとめ

  • 園子と慎二は京都で暮らす夫婦。
  • 43歳で再び妊娠した園子は、一度流産を経験している。
  • 園子は自然分娩を強く望み、夫の慎二が支える。
  • 出産予定日を過ぎたある日、木屋町の眼科医と出会う。
  • 眼科医は水槽のウナギの話をする。
  • ご近所との持ち回りで地蔵の祠を掃除する。
  • ハモのしゃぶしゃぶを食べていた園子に陣痛が始まる。
  • 産院で無事に元気な男の子を出産する。
  • 出産後、チリの鉱山作業員救出のニュースが流れる。
  • 地球の裏側で新たな生を受けた人々と、生まれたばかりの命が重ねられる。

ディスクリプション

いしいしんじさんの『ある一日』のあらすじや、読み終えて感じたことを詳しくご紹介します。43歳で再び命を授かった園子と夫・慎二の、命の輝きと日常の温かさを描いた物語の魅力に迫ります。