
「あの日にドライブ」のあらすじ(ネタバレあり)です。「あの日にドライブ」未読の方は気を付けてください。ガチ感想も書いています。
本作は、かつてメガバンクのエリート行員だった牧村伸郎が、ひょんなことからタクシードライバーに転身し、人生の再起動を図る物語です。順風満帆だったはずの人生が暗転し、希望を見失いかけていた伸郎が、過去の思い出の地を巡るドライブを通して、自分自身と向き合い、新たな価値観を見つけていく過程が描かれています。
伸郎は、妻の律子、娘の朋美、息子の恵太という家族を持ちながらも、どこか満たされない日々を送っていました。そんな彼がタクシーのハンドルを握り、偶然にも昔住んでいたアパートを訪れたことから、彼の人生の歯車が再び動き出します。
彼が向かうのは、学生時代の恋人・村岡恵美との思い出の場所や、かつて抱いていた出版業界への夢の跡地など、過去の自分が置き去りにしてきた「夢」の場所です。そこでの出会いや発見が、彼の心を少しずつ変化させていきます。
しかし、単なるノスタルジーに浸るだけでなく、過去の幻影と現実のギャップ、そして、かつての栄光を失った自分と向き合うことの苦悩も描かれています。それは、多くの人が経験するであろう「人生の曲がり角」での葛藤をリアルに映し出しているかのようです。
そして物語は、伸郎がかつての上司と再会し、自身の原点である中学校の野球部グラウンドへと向かうことで、彼の「記憶のドライブ」が終着点を迎えます。そこでの気づきが、彼にどのような未来をもたらすのか。読み終えた後には、きっと、あなたの心にも温かい光が灯るはずです。
「あの日にドライブ」のあらすじ(ネタバレあり)
牧村伸郎は、かつてメガバンク「なぎさ銀行」のエリート行員として輝かしいキャリアを歩んでいました。しかし、上司との衝突がきっかけで関連会社へ出向を命じられ、最終的には退職という道を選びます。
再就職の道は厳しく、資格取得の勉強やハローワーク通いも虚しく、以前のような条件の職場は見つかりません。結局、彼は約100人のドライバーを抱える小さなタクシー会社「わかばタクシー」に、不本意ながらも就職することになります。
収入は歩合制のため不安定で、スーパーマーケットでパートとして働く妻の律子の方が稼ぎは上。思春期の娘の朋美とは会話が成り立たず、息子の恵太はゲームに夢中と、家庭内での伸郎の居場所も希薄に感じられます。
ある日の昼下がり、大田区で乗せた客を白金まで送り届けた伸郎は、大学生時代に独り暮らしをしていた下宿先「白藤荘」に立ち寄ります。管理人から近々取り壊されると聞き、かつて交際していた村岡恵美の顔が脳裏をよぎります。
恵美の実家は世田谷区の桜上水にあるはずだと、伸郎は仕事を放り出して向かうことにします。しかし、道中で客に捕まることが多く、2時間の間に3組を乗せて1万円ほどの売り上げを記録しました。
ようやく桜上水に到着したのは午後7時。村岡邸は昔のままで、2階には明かりが灯っていますが、いつまでも他人の家を伺っているわけにはいきません。伸郎が車を発進させようとしたその時、両手に大荷物を抱えた中年男性が窓をノックしてきました。
その日の最後の乗客は小田原が目的地で、伸郎はノルマを楽々クリアし、営業成績も第2位を記録します。翌朝、朝刊の一面で池袋にある小さな出版社「青羊社」の広告を見つけます。大学時代に出版関係への就職を考えていた伸郎にとって、青羊社は候補の一つでした。
験を担いだ伸郎は、その日、池袋を走り回ることにします。しかし、またしても途中で客を拾ってしまい、なかなか池袋にたどり着きません。その日はたまたま大安だったため、結婚式帰りの遠距離客が次々と転がり込んできます。
伸郎は、自分だけの「ツキの法則」を理解し始めます。それは、かつて自分が置いてきた夢のある場所、つまり恵美ゆかりの桜上水や青羊社ゆかりの池袋へタクシーで行くことでした。1週間ほどで営業成績が見違えるようになった伸郎は、再び桜上水に足を運びます。
夕暮れ時に見る恵美の美しさは、20年の時が流れても変わることはありませんでした。しかし、現在、兄夫婦と同居している彼女は、何かと居場所がない思いをしているようです。伸郎は、義理の姉にいじめられている恵美が、その腹いせに彼女の息子を虐待する場面を目撃してしまいます。
ここが自分のいる場所ではないと悟った伸郎は、アクセルを踏んで、妻と二人の子供たちが待つ我が家へ帰ることにしました。JR蒲田駅のロータリーで最終列車に乗り遅れたサラリーマンを待ち受けていた伸郎は、泥酔状態で乗り込んできた見覚えのある男に気づきます。それは、なぎさ銀行時代の支店長・徳田で、伸郎へ関連会社への出向を命じた張本人でした。
「あさひ」とだけ目的地を告げて眠り込んでしまった徳田を乗せ、伸郎は千葉県の旭市へと走り出します。九十九里浜に徳田を放り出した伸郎は、海岸を東に行った先にある、自身が通っていた中学校を訪れます。正門は固く閉ざされていましたが、校庭に面したフェンスの金網が一カ所だけ破損しているのは昔のままです。
小さい頃からスポーツが得意だった伸郎が野球を辞めたのは、2年生の時にこの学校を転校したためでした。バックネットの土台には、その時に書き込んだ「めざせ」というメッセージが残っています。何かを探しにここに来たはずの伸郎でしたが、何も見つからなかったために車内へ戻り、朝日が昇り始めた道を東京へと急ぐのでした。
「あの日にドライブ」の感想・レビュー
「人生は一本道じゃない。曲がり角ばかりの迷路だ。」──主人公、牧村伸郎がつぶやくこのセリフには、なんとも言えない哀愁が漂っています。この言葉こそが、「あの日にドライブ」という作品の核心を突いているように感じるのです。
中学生の頃には野球を辞めて進学校へ進み、就職活動では出版社ではなく銀行を選び、そして結婚相手は大学時代の彼女ではなく営業先の社員。伸郎の人生は、常に「堅実」という名の選択肢を選び続けてきた道のりでした。まるで、極力冒険を避けて、安全な道を歩んできたかのようです。彼の生き様そのものを、このセリフが鮮やかに表現していると言えるでしょう。
そんな伸郎が、偶然にも学生時代の思い出の地である白金に立ち寄ったことから、物語は大きく動き出します。失いかけていた、いや、もしかしたら意識的に封印していたのかもしれない、かつての情熱を少しずつ取り戻していく彼の姿は、まさに感動的としか言いようがありません。タクシー運転手という、かつてのエリート銀行員からは想像もつかない職業に就いた彼が、どのようにして自分の仕事に対する誇りを見出していくのか。それは、多くの読者に「自分にとっての仕事とは何か」を深く考えさせる問いかけとなります。
荻原浩さんの筆致は、常に温かさに満ちています。登場人物たちの人間臭さ、どこか滑稽で、しかし心温まるやり取りが、読者の心を掴んで離しません。伸郎が抱える葛藤や、家族との微妙な距離感も、決して重苦しく描かれるのではなく、むしろ人生の機微として、そっと差し出されるような感覚です。
特に印象的なのは、伸郎がタクシーの運転手として「ツキの法則」を見出し、営業成績が向上していく描写です。これは単なる偶然ではなく、彼が過去の自分と向き合い、心の奥底に眠っていた情熱を呼び覚ますことで、運命が好転していく様を示しているように感じます。彼が向かう場所は、かつての夢の跡地であり、そこには彼の心の断片が散らばっているかのようです。
しかし、過去の思い出を巡る旅は、常に美しいものばかりではありません。学生時代の恋人、村岡恵美との再会は、甘酸っぱい記憶と共に、現実の厳しさを突きつけます。時間と共に変化した彼女の姿、そして彼女が抱える苦悩を目の当たりにし、伸郎は過去の幻想から、少しずつ現実へと引き戻されていきます。このあたりの描写は、過去に囚われることの危うさと、現実と向き合うことの重要性を教えてくれます。
伸郎が経験する「ツキの法則」は、単なる成功法則ではなく、彼自身の内面的な変化と密接に結びついています。心が満たされ、生き生きと仕事に取り組むことで、自然と良い結果がついてくる。これは、仕事の種類や地位に関わらず、どんな人間にも通じる真理ではないでしょうか。
物語の終盤、伸郎がかつての上司である徳田支店長と再会する場面は、感慨深いものがあります。かつて彼に退職を促した人物との再会は、伸郎がどれだけ成長したのか、そしてどれだけ変わったのかを浮き彫りにします。泥酔した徳田を乗せ、夜の高速道路を走るシーンは、二人の過去の因縁と、それぞれの現在を象徴しているかのようです。
そして、最終的に伸郎が向かうのは、彼が野球を辞めたきっかけとなった中学校のグラウンドです。バックネットに残された「めざせ」という文字は、彼がかつて抱いていた純粋な夢の残滓であり、同時に、彼がこれから見出すべき「何か」への問いかけでもあります。ここで彼が「何も見つからなかった」と語ることに、深い意味があるように感じられます。それは、答えは外にあるのではなく、自分自身の内側にあることを示唆しているのではないでしょうか。
「あの日にドライブ」は、単なる過去への回帰の物語ではありません。過去を振り返り、そこから何かを学び、現在の自分を見つめ直し、そして未来へと進んでいく。人生の「曲がり角」に差し掛かった時、私たちは皆、伸郎のように迷い、立ち止まることがあるかもしれません。しかし、本作は、そんな時にこそ、自分自身と真摯に向き合い、新たな一歩を踏み出す勇気をくれる作品なのです。
彼の決断、そして彼が選ぶであろう未来は、私たち読者一人ひとりの心にも響くメッセージを持っています。タクシードライバーという仕事を通して、様々な人々と出会い、彼らの人生に触れることで、伸郎自身の人生観も大きく広がり、深みを増していきます。この作品は、人生の岐路に立つすべての人に、そっと寄り添い、温かい光を差し伸べてくれることでしょう。
荻原浩さんの描く世界は、常に「普通の人々」の日常の中に、光と希望を見出すことに長けています。大袈裟なドラマチックな展開がなくとも、読者の心に深く染み入る物語を紡ぎ出すその手腕には、いつも感服させられます。「あの日にドライブ」もまた、そんな荻原ワールドの魅力が凝縮された一冊と言えます。
仕事に、人間関係に、そして人生に疲れてしまった時、この物語はあなたの心のオアシスとなるはずです。伸郎の「記憶のドライブ」は、読者自身の心の中の「あの日のドライブ」へと繋がり、新たな気づきと癒しをもたらしてくれるでしょう。
この物語を読み終えた後、私はふと、自分自身の「あの日のドライブ」について考えてみました。人生のどこかで置き忘れてきた夢や情熱、そして、未だ見ぬ未来への期待。それらをもう一度、心の中で巡らせてみるきっかけを与えてくれたことに、心から感謝したいですね。
まとめ
- 牧村伸郎は、メガバンクのエリート行員からタクシードライバーへ転身した。
- 収入は不安定で、家族との関係も希薄に感じていた。
- 偶然、学生時代の下宿先を訪れ、かつての恋人・村岡恵美との思い出が蘇る。
- タクシーで思い出の場所を巡るうちに、「ツキの法則」を発見し、営業成績が向上する。
- 恵美との再会は、過去の幻想と現実のギャップを突きつける。
- 過去の栄光や幻想に囚われず、現実と向き合うことの重要性を悟る。
- かつての上司・徳田支店長との再会は、自身の成長を確認する機会となる。
- 野球を辞めたきっかけとなった中学校のグラウンドへ向かい、過去の夢の残滓と対峙する。
- 答えは外ではなく、自分自身の内側にあることを示唆される。
- 「あの日にドライブ」は、人生の岐路に立つすべての人に勇気と気づきを与える物語である。