芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、地獄に堕ちた大泥棒カンダタが、お釈迦様の慈悲によって救われるチャンスを得る物語です。極楽の蓮池から垂れ下がった蜘蛛の糸を登っていくカンダタは、地獄から抜け出そうとしますが、自己中心的な行動が彼を再び地獄へと落としてしまいます。
お釈迦様の深い慈悲と、カンダタの無慈悲な心が対照的に描かれています。善行の報いとして与えられた救いの糸も、他者を思いやる心を持たない限り、救いには繋がらないという教訓が込められています。
この物語は、他者への思いやりと、自己中心的な考え方がもたらす結末を教えてくれます。誰かに与えられたチャンスをどう活かすかが重要です。
- 地獄に堕ちたカンダタの物語
- お釈迦様の慈悲と救済の試み
- 蜘蛛の糸がカンダタにとっての救いの糸であったこと
- カンダタの無慈悲な心が再び彼を地獄に落とした理由
- 他者を思いやる心の大切さ
「蜘蛛の糸(芥川龍之介)」の超あらすじ(ネタバレあり)
第1章: 極楽と地獄の対比
極楽にある蓮池は美しい白い蓮の花が咲き、池の水は透き通っています。その池のほとりをお釈迦様が歩いていました。この美しい光景とは対照的に、蓮池の下には暗く恐ろしい地獄の世界が広がっています。そこには、無数の罪人たちが苦しんでおり、針の山や血の池などの責め苦が罪人たちを待っています。お釈迦様は、その地獄を池の水を通して覗き込み、無数の罪人の中に「カンダタ」という男を見つけます。
カンダタは生前、大泥棒として多くの罪を犯していました。人を殺したり、家に火をつけたりといった悪行を重ね、地獄に堕ちたのです。しかし、お釈迦様は彼のことを覚えていました。それは、カンダタが一度だけ善行を行ったことを知っていたからです。お釈迦様は、その善行を思い出し、彼を地獄から救い出すことができるかもしれないと考えました。
カンダタが行った善行とは、道端にいた小さな蜘蛛を助けたことでした。お釈迦様は、その蜘蛛を助けた行為が彼に救いの糸を与える理由になると考え、地獄に垂らすための糸を探し始めます。こうして、お釈迦様は蓮池のほとりにある美しい糸を見つけ、それをカンダタのために垂らしました。
第2章: カンダタの善行
カンダタが地獄に堕ちる前、生前に一度だけ小さな善行をしました。それは、深い森の中を歩いていた時のことです。彼は道端で小さな蜘蛛を見つけ、その蜘蛛を踏み殺そうとしましたが、思いとどまりました。彼は、「小さくても命を持っているのだから、むやみに殺すのは良くない」と考え、その蜘蛛を逃がしてやったのです。
その時のお釈迦様は、カンダタの善行を心に留めていました。悪行ばかりの人生を送ったカンダタですが、その小さな蜘蛛を助けた行為が、彼の救いの鍵となるかもしれないと考えたのです。お釈迦様の深い慈悲の心が、カンダタにチャンスを与えることを決めさせました。
お釈迦様は極楽の蓮池のほとりを見回し、蜘蛛が掛けた美しい銀色の糸を見つけます。そして、その糸をそっと手に取り、地獄の底にいるカンダタに向けて垂らしました。この糸はカンダタにとって最後の希望の糸となるものでした。
第3章: 蜘蛛の糸を登るカンダタ
カンダタは地獄の底で苦しんでいました。血の池に浮かんだり沈んだりしながら、力尽きたように喘いでいました。しかし、ある時、ふと空を見上げると、遠くの空から一筋の糸が銀色に光りながら自分の上に降りてくるのを見つけます。この糸は、お釈迦様が彼を救うために垂らした蜘蛛の糸です。カンダタはその糸を見て、大きな希望を感じました。
「この糸を登れば、地獄から抜け出せるかもしれない」と考えたカンダタは、早速その糸に飛びつき、力強く登り始めました。カンダタは元々大泥棒だったため、こういった動作には慣れていました。彼は力を込めてどんどん糸を登っていき、下の地獄の景色が遠ざかっていくのを感じます。
しかし、途中でカンダタは疲れてしまい、糸の途中で一休みすることにしました。下を見下ろすと、彼がいた血の池は闇の中に隠れ、針の山も遠くに見えるほどになっていました。これで地獄から抜け出すのも簡単だろうと、カンダタは嬉しそうに笑いました。
第4章: 自己中心的な行動による失敗
カンダタが蜘蛛の糸を登ってしばらくすると、彼の後ろから多くの罪人たちが続いて糸を登ってきます。それを見たカンダタは、自分一人で助かろうとしていたため、焦り始めます。糸が他の罪人たちの重さに耐えられないのではないかと恐れたカンダタは、怒って「この糸は俺のものだ!お前たちは登るな!」と叫びます。
その瞬間、蜘蛛の糸はプツンと音を立てて切れてしまいました。カンダタは、地獄の底へと再び落ちてしまいます。彼の自己中心的な行動が、彼自身を再び地獄に戻すこととなってしまいました。カンダタは地獄の血の池に沈み、元の苦しみの中に戻ってしまったのです。
お釈迦様はその一部始終を悲しそうに見ていました。カンダタの無慈悲な心が、彼の救いのチャンスを台無しにしてしまったからです。しかし、極楽の蓮池の蓮の花は、何も知らないかのように美しく咲き続け、良い香りを漂わせていました。
「蜘蛛の糸(芥川龍之介)」の感想・レビュー
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、カンダタという罪人が極楽と地獄の狭間で救いを手にするかのように見えて、最終的には自分の行動によって再び奈落に落ちてしまう物語です。この物語を通して、自己中心的な行動がいかに人の運命を左右するかを強く感じました。お釈迦様の慈悲深い行動がありながらも、それを無にしてしまうのはカンダタ自身の心の問題であり、そこに物語の深い教訓があると感じます。
まず、カンダタが生前に蜘蛛を助けたことで、彼に一筋の救いが与えられたという点は、どんな悪人にもチャンスがあるというメッセージを感じさせます。しかし、そのチャンスを手にした後の行動が重要だというのが、この物語の核心です。カンダタは他の罪人たちを助けるどころか、彼らを排除しようとしました。このような自己中心的な心は、自分を最終的に不幸に陥れる原因になるということを教えてくれます。
また、お釈迦様の行動にも注目すべきです。お釈迦様は極楽からカンダタを救おうと蜘蛛の糸を垂らしましたが、その後のカンダタの行動を静かに見守り続けます。人に救いのチャンスを与えるだけでなく、その人自身がどう行動するかを見届ける姿勢は、非常に深い慈悲の表現だと思いました。
一方で、極楽の蓮池の美しい光景と、地獄の恐ろしい光景の対比が、物語全体に強烈な印象を与えています。極楽の花が変わらず美しく咲き続けていることは、世の中の美しさや希望が常に存在することを示しているように感じました。しかし、そこに手を伸ばすのは自分次第なのです。
最後に、この物語が教えてくれるのは、他者を思いやる心の大切さです。カンダタのように自分のことだけを考えていると、結局自分を苦しめることになります。人間関係や日々の生活でも、他者を思いやることで救われることがあると感じさせる一作でした。
まとめ:「蜘蛛の糸(芥川龍之介)」の超あらすじ(ネタバレあり)
上記をまとめます。
- カンダタは大泥棒であった
- 地獄で苦しんでいた
- 生前に蜘蛛を助けたことがあった
- お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らした
- カンダタはその糸を登った
- 他の罪人たちがカンダタに続いた
- カンダタは自分だけが助かりたいと思った
- 自己中心的な行動が原因で糸が切れた
- カンダタは再び地獄に落ちた
- お釈迦様はその様子を悲しそうに見ていた