アキラとあきら(池井戸潤)の超あらすじとネタバレ

池井戸潤の『アキラとあきら』は、異なる背景を持つ二人の「アキラ」が企業の再建に挑む感動的な物語です。

山崎瑛は父親の工場倒産という逆境を乗り越え、努力と学業で東京大学に進学。銀行員として成功を目指します。一方、階堂彬は名家の息子でありながら、家業の危機に立ち向かうため自らのキャリアを捨てて家業再建に挑みます。この二人が出会い、協力して困難を乗り越える姿は、多くの読者に勇気と感動を与えます。

本記事では、『アキラとあきら』の超あらすじとネタバレを詳しく紹介します。

この記事のポイント
  • 山崎瑛と階堂彬の少年時代と家庭環境
  • 二人の学業とその決意
  • 産業中央銀行での仕事と対立
  • 東海郵船の経営危機と再建の詳細
  • 瑛と彬の信念とその成果

アキラとあきら(池井戸潤)の超あらすじとネタバレ

第1章: 少年時代と家庭の苦難

伊豆半島の山の斜面には、ミカン畑が広がり、その向こうには美しい海が見えます。この場所に、山崎瑛(やまざきあきら)さんの父親、孝造(こうぞう)さんが経営する工場がありました。この工場は「山崎プレス工業」と言いました。

しかし、山崎プレス工業は、瑛さんが小学5年生のときに倒産してしまいました。倒産とは、会社が経済的に行き詰まり、事業を続けることができなくなることです。家族は途方に暮れてしまいました。

その後、家族は母親の実家に引っ越すことになりました。実家は磐田市内にあり、繊維問屋を営んでいました。繊維問屋とは、布や衣類を売る仕事です。家族はしばらくの間、そこに居候することにしました。居候とは、一時的に他の家に住まわせてもらうことです。

孝造さんは新しい仕事を見つけました。電機部品を作るメーカーに技術者として再就職したのです。しかし、工場を経営していたときに多額の借金を抱えていたため、生活は楽ではありませんでした。孝造さんは最終的に自己破産を選びました。自己破産とは、借金を全て清算して、もう返済しなくても良くなる制度ですが、財産を失うことにもなります。

瑛さんは地元の公立高校に通うことになりました。家庭の経済状況が苦しいため、卒業後はすぐに働こうと考えていました。しかし、父親の孝造さんは「お前は大学に行け」と瑛さんに言いました。孝造さんは、息子にもっと良い未来を持ってほしいと願っていたのです。

その言葉を聞いた瑛さんは、必死に勉強を始めました。そして、見事に東京大学の経営学部に合格しました。東京大学は日本で最も有名な大学の一つで、経営学部は会社やビジネスについて学ぶ学部です。瑛さんは、ここで学ぶことによって、将来の成功を目指しました。

瑛さんが大学で参加した経営戦略セミナーでは、大学院生たちを抑えてトップの評価を得ることができました。このセミナーには、大手都市銀行の産業中央銀行から講師が派遣されていました。瑛さんの優秀さは、産業中央銀行の人事部にも伝わり、彼の評判は高まりました。

こうして、瑛さんは次のステップに進む準備を整えたのです。

第2章: 学業と決意

瑛さんは地元の公立高校に通い始めました。家庭の経済状況が厳しかったので、卒業後はすぐに就職しようと考えていました。家族を助けるために早く働きたいと思ったのです。しかし、父親の孝造さんは「お前は大学に行け」と言いました。孝造さんは、息子にもっと良い未来を築いてほしいと強く願っていました。

瑛さんはその言葉を胸に刻み、一生懸命勉強することを決意しました。学校の授業だけでなく、毎日遅くまで自習室で勉強しました。また、家庭教師にも助けを借りて、わからないことはすぐに質問しました。そうして努力を続けた結果、瑛さんは日本で最も有名な大学の一つである東京大学の経営学部に合格しました。東京大学は多くの優秀な学生が集まる場所で、経営学部はビジネスや会社の運営について深く学ぶ学部です。

東京大学に入学した瑛さんは、さらに努力を続けました。特に力を入れたのは経営戦略セミナーです。このセミナーでは、大学院生たちを含む多くの学生が参加していましたが、瑛さんはその中でトップの評価を得ました。セミナーの内容は非常に難しく、実際のビジネスで使われる戦略や分析方法を学びます。瑛さんは持ち前の粘り強さと分析力を発揮して、優秀な成績を収めました。

このセミナーには、大手都市銀行の産業中央銀行からも講師が派遣されていました。産業中央銀行は、日本でも有数の大きな銀行で、多くの企業に融資を行っています。瑛さんの優秀な成績は、産業中央銀行の講師や人事部の採用担当者の耳にも入りました。彼の名前はすぐに広まり、銀行の内部でも話題になりました。

こうして瑛さんは、大学卒業後の就職先として産業中央銀行を選ぶことにしました。銀行で働くことによって、多くの企業を支える仕事に就きたいと考えたのです。瑛さんは、大学で学んだ知識を活かし、実際のビジネスの世界で活躍することを目指しました。

産業中央銀行に入社した瑛さんは、まず3週間にわたる新人研修を受けました。この研修では、銀行の基本的な業務や融資の仕組みについて学びます。そして、最後の5日間は特に重要な「融資戦略研修」が行われました。この研修では、実際に企業にどのように融資を行うか、その戦略を学びます。

瑛さんはこの研修でも優秀な成績を収めました。特に、ファイナルと呼ばれる最終課題では、瑛さんのチームと、同じ東大出身の階堂彬(かいどうあきら)さんのチームが競い合いました。彬さんは明治時代から続く海運業、東海郵船の経営者一族の一員で、都内の進学校から東大に入り、ゴルフ部の主将を務めたことでも有名でした。

彬さんは家業に縛られることを嫌い、あえて商船会社とは無関係な銀行を就職先に選びました。彼もまた、銀行で新たな挑戦をしたいと考えていたのです。こうして、瑛さんと彬さんはライバルとして互いに切磋琢磨しながら、銀行でのキャリアをスタートさせました。

第3章: 産業中央銀行での出発

東京大学を卒業した瑛さんは、産業中央銀行に就職することを決めました。産業中央銀行は日本でも有数の大きな銀行で、多くの企業に融資を行っています。瑛さんはここで働くことで、様々な企業を支えたいと考えていました。

入社後、瑛さんはまず3週間の新人研修を受けました。この研修では、銀行の基本的な業務や、融資の仕組みについて詳しく学びます。研修は非常に厳しく、毎日多くの課題が出されました。しかし、瑛さんは持ち前の努力と粘り強さで、全ての課題をこなしていきました。

研修の最後の5日間は、特に重要な「融資戦略研修」が行われました。この研修では、実際に企業にどのように融資を行うか、その戦略を学びます。瑛さんはこの研修にも全力で取り組みました。

融資戦略研修のファイナルでは、瑛さんのチームと、同じ東大出身の階堂彬さんのチームが競い合いました。彬さんは明治時代から続く海運業、東海郵船の経営者一族の一員で、都内の進学校から東大に入り、ゴルフ部の主将を務めたことでも有名でした。家業に縛られることを嫌った彬さんは、あえて商船会社とは無関係な銀行を就職先に選びました。

ファイナルの課題では、瑛さんのチームが銀行側、彬さんのチームが会社側に分かれて模擬交渉を行いました。模擬交渉とは、実際の交渉をシミュレーションすることです。双方が熱心に議論を重ね、どちらのチームも素晴らしい成果を上げました。この熱戦は大いに盛り上がり、研修を担当する講師たちからも高い評価を受けました。

瑛さんと彬さんの優秀さは、産業中央銀行の融資部長である羽根田一雄(はねだかずお)さんの目にも留まりました。羽根田部長は、将来有望な新人として二人をそれぞれ重要な支店に配属することを決めました。瑛さんは八重洲通り支店に、彬さんは本店に配属されました。どちらも出世コースと呼ばれる、銀行内での重要なポジションです。

瑛さんは、八重洲通り支店での業務を開始しました。ここでは、企業への融資を担当することが多く、毎日多くの企業と接することになります。瑛さんは、大学で学んだ知識と、研修で得た経験を活かしながら、一つ一つの案件に真剣に取り組みました。初めての仕事に戸惑うこともありましたが、持ち前の粘り強さで乗り越えていきました。

一方、彬さんは本店での業務を始めました。本店では、より大規模な企業との取引が多く、責任も大きいです。彬さんもまた、家業の経験を活かしながら、銀行員としての新しいキャリアに全力を尽くしていました。

こうして、瑛さんと彬さんはそれぞれの場所で銀行員としての一歩を踏み出しました。互いに刺激を受けながら、日々の業務に取り組み、成長を続けていったのです。

第4章: 東海郵船の再建

産業中央銀行での仕事を続けていた瑛さんですが、一方で階堂彬さんの家業である東海郵船に大きな変化が訪れました。東海郵船は彬さんの弟である龍馬(りょうま)さんが社長を務めていましたが、バブル崩壊の影響で海運業界の運賃相場が崩れ、経営は厳しい状況にありました。

龍馬さんはプライドが高く、ワンマン経営に陥りがちでした。ワンマン経営とは、一人のリーダーが全ての決定を行い、他の人の意見をあまり聞かない経営スタイルのことです。さらに、龍馬さんは社長としての経験が不足していたため、うまく会社を運営することができませんでした。

過労がたたって龍馬さんは体調を崩し、ついに総合失調症という病気にかかり、入院することになりました。総合失調症とは、心と体のバランスが崩れ、仕事や日常生活がうまくいかなくなる病気です。これにより、龍馬さんは社長を続けることが難しくなりました。

そこで、東海郵船の役員たちは新しい社長を探すことになりました。そして、白羽の矢が立ったのが彬さんでした。彬さんは銀行でのキャリアを築いていましたが、家族や会社のために社長の座を引き受けることを決意しました。彼は産業中央銀行の人事部に辞表を提出し、東海郵船の新しい社長となりました。

社長に就任した彬さんは、まず会社の状況を詳しく調査しました。これまでの粉飾決算やずさんな経理処理を一新し、会社の透明性を高めることを目指しました。粉飾決算とは、実際よりも良い経営状態を見せかけるために数字を操作することです。また、組織内の人事評価や縦割り意識を見直し、チームワークを重視した新しい組織システムを導入しました。

さらに、彬さんは取引先の信頼回復とコスト削減を実行するための社内チームを結成しました。信頼回復とは、失われた信用を取り戻すことであり、コスト削減とは、無駄な経費を減らして効率的に運営することです。彬さんはこれらの改革を進めることで、会社の経営を立て直そうとしました。

しかし、前任の龍馬さんが手を出したリゾート事業は赤字を垂れ流しており、そのうえ龍馬さんは連帯保証人にもなっていました。連帯保証人とは、他人の借金を代わりに返済する責任を負う人のことです。これにより、東海郵船はさらに経営が厳しい状況に置かれていました。

そこで、彬さんはメインバンクである産業中央銀行に謝罪のため訪問しました。メインバンクとは、企業が最も多く取引をしている銀行のことです。彬さんを出迎えたのは、現在営業本部で次長の肩書きを持ち、東海郵船の担当をしている瑛さんでした。

彬さんは、赤字を垂れ流しているリゾートホテル「ロイヤルマリン下田」を黒字にするため、産業中央銀行から140億円もの融資を取り付けるつもりでした。瑛さんは、銀行に融資を認めさせるための稟議書を書く役割を担いました。稟議書とは、上司に提案を承認してもらうための書類です。

この案件は認可されるのが極めて厳しい見通しでしたが、瑛さんは緻密な分析と創意工夫に富んだ資料を添付し、全力で取り組みました。彼の努力と信念が実を結び、産業中央銀行から東海郵船に140億円の融資が実行されました。こうして、東海郵船は新たな一歩を踏み出すことができました。

第5章: 瑛の信念と成果

東海郵船の新しい社長に就任した彬さんは、まずは過去の問題を解決するために動き始めました。弟の龍馬さんが手を出していた赤字のリゾート事業「ロイヤルマリン下田」は、特に大きな問題でした。さらに、龍馬さんはこの事業のために連帯保証人になっていたことを、メインバンクの産業中央銀行にも話していませんでした。

彬さんは、社長に就任してすぐに産業中央銀行に謝罪に訪れました。産業中央銀行の営業本部で次長を務め、東海郵船の担当をしていたのは瑛さんでした。彬さんは、リゾートホテル「ロイヤルマリン下田」を黒字にするために、140億円もの融資を銀行から取り付けるつもりでした。

瑛さんは、この案件を通すために全力を尽くしました。銀行に融資を認めさせるための稟議書を作成するのが瑛さんの役割でしたが、この案件は非常に厳しい見通しでした。それでも、瑛さんは緻密な分析と創意工夫に富んだ資料を添付し、納得のいく稟議書を作成しました。

稟議書には、東海郵船がどんな会社で、どうあるべきなのか、そしてこれまでいかに不本意な方向に進んでいたのかが詳細に記されていました。不動部長は、なぜそこまで東海郵船にこだわるのかを瑛さんに問いかけました。そこで瑛さんは、自分が銀行員になった理由を告白しました。

瑛さんの父親はかつて会社を経営しており、家族や従業員を守るために銀行の支店長に融資を頼みにいったことがありました。しかし、その時はあっさりと断られてしまい、会社は倒産しました。瑛さんは、会社ではなく人間にお金を貸したいと強く思っていました。

瑛さんのこの言葉により、不動部長も心を動かされました。最終的に、産業中央銀行は東海郵船に140億円の融資を実行することを決定しました。こうして、「ロイヤルマリン下田」は見事に黒字に転じました。

それから5年後、彬さんから瑛さんに「黒字経営に回復したロイヤルマリン下田に遊びに来てくれ」と誘いの言葉がありました。瑛さんはその誘いを受け、久しぶりに下田を訪れることにしました。ホテルは海岸の曲がりくねった道を抜けた先にあり、とても美しい場所にありました。

途中で、瑛さんはかつて山崎プレス工業があった土地へ寄り道をしました。工場も住んでいた家も撤去されていましたが、瑛さんは幼い頃のままのミカン畑の急斜面と、光を浴びて輝く海を眺めました。その景色は、変わらず美しく、瑛さんの心に深い感慨をもたらしました。

この経験を通じて、瑛さんは自分の信念を貫くことの大切さを改めて感じました。そして、自分がこれからも多くの人々を支え、助けていくことを強く決意しました。瑛さんの物語は、まだまだ続いていきますが、その歩みは確かに前進し続けています。

アキラとあきら(池井戸潤)の感想・レビュー

池井戸潤の『アキラとあきら』は、二人の異なる背景を持つ主人公が互いに成長しながら困難に立ち向かう物語です。まず、山崎瑛さんの話は心に深く響きます。彼の家族が父親の工場倒産という大きな困難に直面し、生活が一変する様子はとてもリアルです。瑛さんが父親の「大学に行け」という言葉を胸に、一生懸命勉強して東京大学に合格する姿には感動しました。彼の努力と決意が報われる場面は、多くの読者に勇気を与えると思います。

一方、階堂彬さんの物語も興味深いです。彼は名門の家に生まれながらも、自分の道を切り開こうとします。特に、家業の海運業がバブル崩壊で経営危機に陥ったとき、彬さんが銀行員としてのキャリアを捨てて家業再建に挑む姿には、強い責任感と家族愛を感じました。彬さんが新しい社長として会社を立て直すために奮闘する姿は、彼のリーダーシップと勇気を物語っています。

二人の主人公が産業中央銀行での仕事を通じて出会い、互いに刺激を受けながら成長していく様子は、とても心温まるものです。特に、瑛さんが彬さんの会社に140億円の融資を提供するために奔走するシーンは、彼の信念と情熱が強く伝わってきます。瑛さんが自分の過去の経験を活かして、人間に対してお金を貸すことの大切さを訴える場面は、非常に感動的です。

また、物語の最後に、再建されたリゾートホテル「ロイヤルマリン下田」での再会シーンも印象的です。瑛さんが幼い頃の思い出の場所を訪れ、過去と現在をつなぐ瞬間には、成長とともに過去を大切にする心が描かれています。このシーンは、物語の締めくくりとして非常に美しく、読者に深い感慨をもたらします。

総じて、『アキラとあきら』は、困難に立ち向かいながら成長していく二人の主人公の姿を通じて、努力の重要性や家族の絆、そして信念を貫くことの大切さを教えてくれる素晴らしい物語です。池井戸潤さんの巧みなストーリーテリングによって、読者は二人のアキラの旅路に引き込まれ、最後まで目が離せません。中学生にもわかりやすい表現で、難しいテーマを分かりやすく描いているので、多くの人におすすめできる作品です。

まとめ:アキラとあきら(池井戸潤)の超あらすじとネタバレ

上記をまとめます。

  • 山崎瑛の父親が経営する工場が倒産し、家庭が困難に直面する
  • 瑛は父の言葉を受け、必死に勉強して東京大学に進学する
  • 瑛は産業中央銀行に就職し、新人研修でトップの評価を得る
  • 同じ東大出身の階堂彬も産業中央銀行に就職する
  • 彬は家業の海運業が経営危機に陥り、社長として再建に挑む
  • 龍馬が経営する東海郵船はバブル崩壊で厳しい状況にある
  • 龍馬が病気で入院し、彬が新社長として会社を立て直す
  • 瑛は東海郵船に140億円の融資を提供するために奔走する
  • 銀行と彬の協力でリゾートホテルを黒字に転じさせる
  • 瑛と彬はそれぞれの信念を貫き、成功を収める