小説「カラフル(森絵都著)」の超あらすじ(ネタバレあり)

小説「カラフル」は、森絵都さんの代表作のひとつとして多くの読者を魅了してきた作品です。

何度も生まれ変わるチャンスを失った“ぼく”の魂が、自殺未遂を起こした中学生・小林真の体にホームステイしながら再び人生をやり直す物語と聞くと、それだけでも興味が湧いてきませんか? ただのファンタジーかと思いきや、家族の秘密や友人との微妙な距離感など、リアルな悩みにまみれた等身大の青春を描いている点が味わい深いです。読むほどに「人間っていいな」と思わされるのに、一方では「なんでこんなにも面倒くさいんだ!」と突っ込みたくなる瞬間もあり、笑ってしまうやら、考えさせられるやらでページをめくる手が止まりません。

今回は、この物語の全容をしっかりと押さえたうえで率直な感想をお届けします。初めて読む方はもちろん、昔読んだけど記憶があいまい…という方にも読後のモヤモヤを少しでも晴らしていただけたら幸いです。ここから先は作品の深い内容に触れますので、未読の方はご注意ください。では、物語の魅力へ一緒に飛び込みましょう。

小説「カラフル」のあらすじ

ある日、“ぼく”は死後の世界のような場所で目を覚まします。そこに現れたのは、のんびり屋の天使・プラプラ。どうやら“ぼく”は大きな罪を犯したがゆえに、次の生への輪廻転生から外されてしまったらしいのです。ところが抽選に当たり、条件つきで再挑戦が許されることに。そこで送り込まれた先が、自殺未遂によって危篤状態の中学三年生、小林真という少年の体だったのです。

病院で目を覚ました“ぼく”は、小林真の家族や学校生活に戸惑いつつも、少しずつ日常を取り戻していきます。父は一見まじめそうなのに自分勝手な一面があり、母は不倫疑惑を抱えている。兄は兄でクールなようでいて何やら問題を抱えているようす。さらにクラスメイトにもいまいち馴染めず、以前の真と違う振る舞いをしてしまうため周囲を困惑させることもしばしばです。

そんなギクシャクした日常で、“ぼく”は美術部の活動を通じて唯一の居場所を見つけたり、真の初恋の人だったひろかや、クラスメイトの佐野唱子と接するうちに、少しずつ心境の変化を味わいます。それまでどんより見えていた景色が、徐々に彩り豊かになっていくような感覚。“ぼく”は「ああ、いろいろあるけれど、捨てたもんじゃないな」と感じ始めるのです。

ところが、現実はそう甘くありません。真として過ごす中で、新たに浮上してくる家族の秘密やクラスメイトの問題、そして“ぼく”自身が犯していた「かつての罪」とは何なのか。プラプラは「思い出せば元のサイクルに戻れる」と言うのですが、当の“ぼく”にはいまいちピンとこない。いったい自分は何をやらかしたのか。自問自答しながら日々を暮らすうちに、真の周りの世界が少しずつ輝きはじめるラストへと向かっていきます。

小説「カラフル」のガチ感想(ネタバレあり)

ここからは物語の結末や重要なポイントにも深く触れながら、思うままに書き綴っていきます。読む前に内容を知らずに楽しみたい方は要注意です。とはいえ、この作品は多少ネタを知っていても十分に味わい深いので、むしろ二度読み、三度読みすることで新たな発見があるタイプの小説だと感じています。

まず、なんといっても「生まれ変わり」の設定がユニークです。死後の世界で「もうチャンスはない」と言われていながら、天使の気まぐれか運命の妙か、ふとした拍子で“小林真”という少年に入り込むことになる“ぼく”。普通なら「ラッキー!」と勢いづきそうなのに、いざ真の体に入ってみたら母親は怪しい動きをしているし、父親は家庭を顧みない雰囲気。クラスメイトもなじめないし、兄は兄で何を考えているかわからない。しかも自分は過去に重大な過ちを犯していたらしい――こんな状況だったら、もう一度死にたくなってしまうかもしれません。けれど、そこを悲壮感いっぱいに描かず、妙にゆるい天使のやりとりやちょっとズレた学校生活の描写によって、読者としてはクスッとしながらも「こんな家族、いるよな」「こういう思春期、あるよな」と頷きたくなるのが面白いところです。

一方で、この物語を深く読み込むと、家族という存在のもろさや、他人には言えない孤独感がしっかり描かれているのに気づきます。真が自殺を図った背景には、母の不倫や初恋相手の裏切り、父親への不信といった要素が積み重なっていましたが、表面上は「いい家庭」に見えていたのがミソです。私たちもよく「人の家の事情なんてわからない」と言いますが、外からはまったく問題がなさそうに見えることって意外と多いですよね。そんな“うちに秘めた闇”の深刻さを、“ぼく”が外部から眺める形で疑似体験させてくれるあたりが、この作品の大きな魅力だと思います。

さらに、“ぼく”が真の体を借りて生きる中で、絵を描く楽しみや友だちとの会話による救いがしっかり描写されるのも見どころです。特に美術室のシーンは象徴的で、黙々とキャンバスに向かう姿が「息苦しい日常の中で、唯一呼吸ができる場」を得ているようにも感じられます。これは思春期に限らず、大人であっても「ここだけは素の自分でいられる」「ここでなら何かを表現できる」という場が生きる上で大切なんだと再認識させられるエピソードです。

“ぼく”が周囲の人間関係を知っていくうちに、「単なる自己中心的な父親」と見えていた人物にも苦労や信念があるとわかってきたり、無遠慮に思えた兄にも勉強や将来への真剣な思いがあったり、母にしても絶対に許されない行為ではあっても、そこに至るまでの葛藤があったり…。その「人それぞれに色があるんだ」というテーマが、本作のタイトルにも直結しているのだと強く感じます。人間ってどうしても「この人は黒」「あの人は白」と決めつけがちだけれど、本当は多面的で、多色的な側面を抱えていますよね。それらを含めて「カラフル」なのだというメッセージは、ストーリーを追うにつれて自然と伝わってきます。

そして終盤、“ぼく”は衝撃的な真実に気づきます。それは「自分こそが真だった」という事実。この仕掛けは初読時はもちろん、再読しても「やっぱりここは胸にくるな」と思わされるポイントです。つまり、“ぼく”=真が過去に犯した罪の正体は「自分自身を殺した」こと。命を投げ出した事実こそが最大の過ちであり、それこそが罰の理由だったのだと理解したとき、読者としては「ああ、だからこんなにも家族との絆や人間関係が切なく迫ってきたのか」と腑に落ちるのです。このどんでん返しによって、それまで見てきた物語の印象がもう一段階深くなる。まるで自分自身を赦すための旅のようでありながら、本当は家族や友人を救う物語でもある、という二重構造がとても味わい深いです。

また、同時に感じるのは「生き直せるならもう一度チャレンジしてみたい」という思い。“ぼく”が再び真として生きることを選ぶかどうか、そして真の家族が本当の意味でつながりを取り戻せるかどうかは、読んでみるとあたたかい気持ちになります。実際にこんな奇跡が起こるかはわかりませんが、もし自分にも同じようなチャンスが与えられたらどうするだろう? 改めて「家族はうっとうしいけど大事かもしれない」「友達や恋って面倒だけど必要だよな」と、人生そのものを考えさせられるんです。これは若い世代にも大人にも響くテーマで、読後に何とも言えない爽快感とじんわりした感動が同居する作品だと思います。

個人的には、真の兄が終盤に見せる行動もかなり印象的でした。クールで意地悪に思えた兄が、真に対してほんの少しだけ「助けてやらなきゃ」と動いてくれる場面が、家族の絆を感じさせます。血のつながりがあるから必ず仲良くなるわけではない。だけど根底にはどこかで「守ってあげたい」「一緒に乗り越えたい」という思いがある。そういう家族の不器用な愛情表現こそが尊いと感じますし、同時に「最初からもっと素直に話せばいいのに!」とツッコミたくもなる。それがリアルな家族像であり、一筋縄ではいかない魅力でもあります。

さらに、視点をもう一度“ぼく”にもどすと、「自分は死んで当然だ」と絶望していたはずなのに、いざ真の体を使って生きてみると、友人や家族からのあたたかい行為に触れて少しずつ「もしかして俺、そんなに価値がないわけじゃないのかも?」と思えてくる過程が切なくも励まされます。人生につまずいた経験のある人や、今まさに自分なんて価値がないと思い込んでいる人にとっては、「なんだ、世の中悪くないじゃん」と光が差してくるような感覚を得られるでしょう。そういう“救い”がちゃんとある物語って、何年経っても色褪せないんですよね。

加えて、“ぼく”をサポートする天使・プラプラの存在が、物語にほどよいスパイスを効かせています。彼(?)は天使らしい神々しさというよりは、ちょっと気だるげでとぼけた雰囲気が強い。ゆえに深刻になりすぎず、どこかポジティブな空気を運んできてくれるのが救いでもあるのです。普通の人間視点であれば落ち込んだり絶望したりして終わるところ、プラプラの独特な言動が「人生、まあなんとかなるよね」と背中を押してくれる。読者としても同じ気持ちになるので、非常にいい役回りだと感じました。

この小説は「色を見失った人が、もう一度色を取り戻すまでの物語」と言い換えてもいいかもしれません。なぜかモノクロに見えていた世界が、実はたくさんの色合いに満ちていることに気づく瞬間。その瞬間の尊さや輝きが、ページを読み進めるほどにじわじわと伝わってきます。自分が世界を見放していたら、世界も自分を見放してしまうように感じるかもしれません。けれど、わずかでも興味を持って目を凝らせば、どんな人や景色にも意外な色があるもの。そんな大切な視点を、この作品はやさしく思い出させてくれるのです。

もちろん、ストーリーの運びには少しご都合主義的な部分もあるかもしれません。こんなにうまく奇跡が重なるわけないとか、天使ってどういう設定なんだとか、突っ込みたくなる要素もゼロではない。けれど、そこを現実的に考えすぎると、この物語本来の魅力が半減してしまいます。重要なのは「自分が人生を投げ出したあと、もう一度どこかでやり直せるとしたらどうする?」という問いかけ。その問いかけを読者自身が考えることに大きな意味があるのだと思います。

そして何より、この作品を読むと「家族や友達に対して素直に言葉を交わすこと」の大切さを改めて感じます。思春期だからこそ、本音を言い合うのが難しかったり、家族を疎ましく思ってしまうことってありますよね。でも本当は、ちょっと勇気を出して言葉をかけるだけで状況はガラッと変わるかもしれない。そんな当たり前のことを、まるで色彩の洪水のような鮮やかさで実感させてくれるのが「カラフル」のすごさです。読後には「自分も少し素直になってみようかな」と思わず思わせてくれる。人生観を優しく揺さぶってくれる小説だと断言できます。

以上、かなり長くなりましたが、これが私なりの「ガチ感想」です。実は何度も読み返しているのに、そのたびに違うシーンで泣いたり笑ったりしています。時代が移っても、この作品の持つメッセージは決して色あせないでしょう。そして読者がどの段階で出会うかによって、受け取り方も違ってきます。学生時代に読んだときは真の孤独に共感し、大人になってからは家族の切なさがしみる。そんな変化を味わえるのも、作品の度量が大きい証拠だと思います。もし「自分なんて…」と塞ぎこむときがあったら、ぜひまたページを開いてみたくなる。そんな一冊です。

まとめ

森絵都さんの「カラフル」は、一見すると死後の世界や天使といったファンタジックな要素があるようでいて、実は思春期の悩みや家族のすれ違いなど、身近で切実な問題が詰まっています。だからこそ読み進めるにつれ、ありふれた毎日や自分の周りの人間関係に対しても「もしかして、本当はいろんな色があるのかも」と思えてくるのが不思議です。

人生に疲れてしまったとき、あるいは家族や友人とうまくいかずに悶々としているとき、この作品を読むと「もう少しだけ目を凝らしてみよう」「どうせ投げるなら、もうひと頑張りしてからでも遅くないんじゃないか」と背中を押されるような感覚があります。そうした心の変化こそが“再挑戦”なのかもしれませんね。大袈裟に言えば、この物語が教えてくれるのは「自分も世界も意外と捨てたもんじゃない」ということ。ありきたりな言葉でまとめるなら、“生きていれば何とかなる”という実感を、鮮やかな筆致で示してくれる優しい作品だといえます。

一度しかない人生をどう受け止めるか、どんな色を見出すか、それは人それぞれ。けれど、ふと立ち止まって振り返ると、こんなにも美しい色彩に満ちていると気づかせてくれる「カラフル」は、これからも多くの人に読まれ続けることでしょう。