
JR上野駅公園口のあらすじ(ネタバレあり)です。JR上野駅公園口未読の方は気を付けてください。ガチ感想も書いています。
柳美里さんの「JR上野駅公園口」は、東京の片隅で静かに息をひそめる人々の生と死、そして社会の矛盾を深く描き出した作品です。主人公のカズが辿る過酷な人生は、私たちに多くの問いを投げかけます。福島で生まれ育ち、家族を養うために東京へ出稼ぎに来たカズは、時代の波に翻弄されながらも懸命に生きてきました。しかし、愛する者を失い、居場所をなくした彼は、最終的に上野公園のホームレスとなります。
公園での日々は、想像を絶するほど厳しく、社会の片隅に追いやられた人々の現実を突きつけます。それでもカズは、同じ境遇の仲間たちとのささやかな交流の中で、人間の尊厳とは何かを模索し続けます。彼の視点を通して描かれるのは、貧困や孤独といった現代社会が抱える問題だけでなく、歴史の移ろいや人々の記憶といった、より普遍的なテーマです。
この物語は、単なるホームレスの悲惨な状況を描写するに留まりません。カズの回想と現在が交錯しながら、彼の人生の軌跡が丁寧に紡がれていきます。そこには、郷里への思い、家族への愛情、そして人生の苦悩が鮮やかに描かれており、読者の胸に深く響くことでしょう。
そして、JR上野駅公園口の物語の終盤では、カズとある人物との予期せぬ邂逅が描かれます。この一瞬の出会いは、カズの人生、ひいては私たちの社会が抱える根源的な問題を浮き彫りにします。それは、同じ時代に生まれながらも、全く異なる人生を歩んできた二つの存在が、わずかな時間、同じ空間を共有する奇跡のような瞬間です。
JR上野駅公園口のあらすじ(ネタバレあり)
物語は、主人公であるカズの視点から語られます。彼は1933年、福島県相馬郡八沢村に生まれました。妻の節子と、娘の洋子、息子の浩一を授かります。カズは家族を養うため、30歳になった1963年から東京へ出稼ぎに出る決意をします。翌年に控えた東京オリンピックの競技場建設現場で、土方として働く日々が始まりました。毎月2万円という、当時のサラリーマンの月給に匹敵する額を故郷へ仕送りし、酒や博打、女遊びに一切手を出すことなく、ひたすら家族のために働きました。年に2回、盆と年末にだけ故郷に帰省するのが常でした。
しかし、カズの人生に暗い影が差し込みます。1981年3月、21歳になったばかりの息子・浩一が病でこの世を去ってしまいます。カズは60歳で出稼ぎを辞め、故郷で悠々自適の隠居生活を送ることを夢見ていましたが、その夢も叶わぬまま、7年後には妻の節子が65歳で他界してしまいます。独りになったカズを心配し、娘の洋子の娘である麻里が同居してくれることになりましたが、21歳の若い女性をいつまでも自分に縛り付けておくわけにはいかないと考えます。そして、「探さないでください」という置き手紙を残し、カズは東京の上野へと向かうのです。
上野駅の公園口改札を出たカズは、東京文化会館の軒下で雨宿りをしながら一夜を明かします。やがて彼は、段ボールとブルーシートで自分だけの小屋を建て、ホームレスが集まる「摺鉢山」と呼ばれるテント村の一員となります。上野には老舗のレストランが数多くあり、閉店後に裏口に回れば売れ残った惣菜を手に入れることができました。さらに、毎週金曜日と土曜日には教会のボランティアによる炊き出しがあるため、食べ物に困ることはありませんでした。カズはアルミ缶を集め、一つ一つハンマーで叩き潰しては、1個2円ほどで廃品回収業者に売って小銭を稼ぎました。時には、チケットの転売業者から「並び屋」の仕事を依頼され、日当1000円の臨時収入を得ることもありました。徹夜で列に並んでいる時に知り合ったのが、シゲというニックネームで呼ばれるホームレスの仲間でした。
シゲは、彰義隊や西郷隆盛といった上野の地理や歴史にやたらと詳しく、昼間は言問通りを隅田川沿いに行った先にある図書館で、郷土史や文化財に関する本を読んでいました。いつも身綺麗にしていることから、元々はインテリで、公務員や教職などの職に就いていたのだろうとカズは推測します。ある日、カズはシゲの小屋に招かれ、ワンカップ大関とスルメやピーナツなどのおつまみをご馳走になります。エミールという名前の猫を撫でながら、シゲは自らの身の上話を始めます。カズと同じ1933年生まれで、当時72歳であること。40歳の時に妻との間に息子を授かったこと。そして、大きな間違いを犯して家族に迷惑をかけ、この場所に逃げてきたことを。シゲは誰かと秘密を共有することを求めているようでしたが、カズは彼に自分の過去を打ち明けることはありませんでした。
それから1ヶ月ほど後、シゲが自分の小屋の中で冷たくなっていたという知らせがカズの耳に入ります。死に場所を探して上野へ来たはずのカズでしたが、気がつけば5年の歳月が流れていました。2006年11月20日、カズは朝6時から小屋の解体を始め、リヤカーに家財道具一式を積んで移動準備に追われていました。JR上野駅公園口の日本学士院で行われる芸術振興会に皇族が出席されるため、午前8時半から午後1時までは摺鉢山への立ち入りが禁止されていたのです。午前9時頃には雨が降り始め、カズは不忍池の周りの遊歩道をあてどなくさまよい歩きました。
国立科学博物館の方角から、金の菊紋を付けたトヨタ・センチュリーロイヤルが近づいてきたのは、午後1時過ぎのことでした。周辺は私服警官や観光客で混み合っていましたが、通行人の間からかろうじてその姿を見ることができました。後部座席の開いた窓から笑顔で手を振っているのは、カズと同じ1933年生まれの天皇陛下でした。カズは、浩宮徳仁親王と同じ1960年の2月23日に生まれていれば46歳になっていたであろう息子・浩一のことを思い出すのでした。
JR上野駅公園口の感想・レビュー
「JR上野駅公園口」を読み終えた時、私の胸には静かで深い感動がこみ上げてきました。柳美里さんが描く世界は、決して華やかではありません。むしろ、社会の底辺で生きる人々の、痛みや孤独、そしてささやかな希望が、生々しく、そして丁寧に描かれています。この作品は、私たちが普段目を向けることのない、しかし確かに存在する現実を、私たちに突きつけます。
主人公のカズの人生は、まさに日本の高度経済成長期から現代に至るまでの、庶民の歴史そのものです。福島という地方から東京へ出稼ぎにきて、家族のためにひたすら働き続ける姿は、多くの日本人が経験してきたことです。彼の質素な暮らしぶりや、家族への深い愛情は、読者の心に温かく響きます。しかし、そんなカズの人生も、息子や妻との死別という悲劇によって大きく揺さぶられます。愛する者を失い、故郷にも居場所を見出せなくなった彼が、最終的に上野公園でホームレスとして生きる道を選ぶ場面は、胸が締め付けられるようでした。
上野公園でのホームレス生活の描写は、非常にリアリティがあります。段ボールやブルーシートでつくられた「家」、廃品回収で生計を立てる日々、そして「山狩り」と呼ばれる行政による強制排除。これらは、単なるフィクションではなく、私たちの社会のすぐ隣で起きている現実です。柳美里さんは、そうした現実を、過剰な感情移入をすることなく、淡々と、しかし確かな筆致で描いています。だからこそ、その事実がより重く、読者の心に響くのだと感じました。
ホームレスとして生きるカズは、社会から見捨てられた存在のように思えるかもしれません。しかし、彼には彼の尊厳があり、彼なりの生き方があります。同じホームレスの仲間であるシゲとの交流は、そのことを強く感じさせます。シゲは、元は教養のある人物であり、上野の歴史や文化に精通しています。カズとは異なる生い立ちを持つシゲとの出会いは、ホームレスという一つの括りの中に、様々な人生があることを教えてくれます。彼らが互いに支え合い、時に語り合う姿は、人間がどんな状況にあっても、つながりを求める存在であることを示しているかのようでした。
特に印象的だったのは、シゲが自身の過去をカズに語ろうとする場面です。彼は「大きな間違いを犯して家族に迷惑をかけ、この場所に逃げてきた」と打ち明けます。その言葉の背後にある後悔や苦悩が、痛いほど伝わってきました。しかし、カズはシゲに自分の過去を語ろうとしません。この沈黙は、それぞれの人生が抱える深い悲しみや、言葉にできない重みを象徴しているように感じられます。お互いの過去に深く立ち入らないことで、彼らはそれぞれが抱える孤独を尊重し合っているのかもしれません。
そして、物語の終盤で描かれる、カズと天皇陛下との邂逅は、この作品の白眉と言えるでしょう。同じ1933年に生まれながら、一方は国の象徴として最高の地位にあり、もう一方は社会の片隅で生きるホームレス。この対比は、私たちの社会が抱える格差や不平等を、これ以上ないほど鮮やかに浮き彫りにします。しかし、単なる対比ではありません。天皇陛下が窓から笑顔で手を振る姿と、それを見るカズの視線。この一瞬の交錯は、人間の尊厳という普遍的なテーマを私たちに問いかけます。
カズは、その時、息子・浩一のことを思い出します。浩一は、天皇陛下の息子である浩宮徳仁親王と同じ年に生まれました。もし生きていれば、46歳になっていたであろう息子のことを。この場面は、カズの個人的な悲しみと、社会全体が抱える不条理が結びつく瞬間です。人生は、個人の努力だけではどうにもならない、運命や社会の構造によって大きく左右されることがある。そうした厳しい現実を、この作品は静かに、しかし力強く訴えかけてきます。
「JR上野駅公園口」は、私たちに、社会の片隅に追いやられた人々の存在を意識させ、彼らの声に耳を傾けることの重要性を教えてくれます。そして、貧困や孤独といった問題は、決して他人事ではないのだということを、改めて考えさせられます。一見すると悲惨な物語ですが、その中には人間の強さや、ささやかな希望、そして何よりも生命の尊厳が描かれています。
この作品は、2020年の東京オリンピックを目前に控えた現代において、1964年のオリンピック開催時に出稼ぎに来たカズの人生と重ね合わせることで、歴史の繰り返しや、社会が抱える根深い問題を浮き彫りにします。私たちは、この作品を通して、過去と現在、そして未来について深く考えるきっかけを得られるのではないでしょうか。
まとめ
「JR上野駅公園口」のあらすじ(ネタバレあり)をまとめます。
- 主人公のカズは1933年に福島県で生まれ、家族のために東京へ出稼ぎに出ます。
- 1964年の東京オリンピックの競技場建設現場で土方として働き、毎月故郷へ仕送りします。
- 息子・浩一が21歳で病死し、その後、妻の節子も他界します。
- 家族を失い故郷での居場所をなくしたカズは、「探さないでください」と置き手紙を残し、東京の上野へ出奔します。
- 上野公園でホームレスとなり、段ボールとブルーシートで小屋を建てて生活を始めます。
- アルミ缶集めや「並び屋」の仕事で小銭を稼ぎ、教会の炊き出しなどで食料を得ます。
- ホームレス仲間のシゲと知り合い、彼の身の上話を聞くことになります。
- シゲが小屋の中で亡くなっているのが発見され、カズは死に場所を探して上野へ来たはずが5年が経過していることに気づきます。
- 皇族が上野の日本学士院を訪れる日、カズは小屋の解体を余儀なくされ、公園をさまよいます。
- カズは、自分と同じ1933年生まれの天皇陛下と一瞬の邂逅を果たし、息子・浩一のことを思い出します。