芥川龍之介の短編小説「仙人」は、人間の根源的な欲望を鮮やかに描き出した作品です。主人公・権助は、仙人になるという夢を実現するために、二十年間も医者の家に奉公します。しかし、彼の夢は単なる逃避ではなく、人生の意味を探求する旅でもあったのです。
この記事では、物語のテーマ、文学的手法、そして深い考察を通して、「仙人」の真髄に迫ります。 芥川龍之介が巧みに織り成した言葉の迷宮を解きほぐし、人間の欲望と真実について深く考えてみましょう。
- 権助の夢と欲望の真意:仙人になるという夢の背後にある、権助の深い思い
- 狡猾さと真実の相克:医者の女房の策略と、権助の純粋な願望の対比
- 作品に込められたメッセージ:人間の欲望の本質と、夢の実現の難しさ
- 芥川龍之介の文学的技巧:寓話、アイロニー、シンボリズムなど
芥川龍之介「仙人」のあらすじ
第一章:権助の仙人志望
昔、大阪の賑やかな町に、権助という名の若者が奉公に来ました。彼は、人々がお仕事を探すために訪れる口入れ屋を訪ね、店の番頭に対して、珍しい願いを持ちかけます。「番頭さん、私は仙人になりたいのです。そういう特別な場所へ住み込ませてください」と権助は真剣な表情で言いました。
この番頭は、今までに仙人志望の求職者に出会ったことがなく、最初は驚き、その後、権助の要望を断ろうとします。しかし、権助の強い意志を前に、番頭は渋々その願いを受け入れることにします。番頭自身、仙人になるための修行ができる場所がどこか、さらにそんな場所が本当に存在するのかさえ分かりません。
困った番頭は、自分の知り合いである近所に住む医者に相談を持ちかけます。「仙人になるための修行はどこでできるのか、どうすれば良いのか」と。医者もこの奇妙な相談には困惑しつつも、真剣に権助のことを考えます。しかし、解決策を見出す前に、医者の女房が割り込んできました。彼女は「古狐」というあだ名を持つ狡猾な女性で、「うちに来れば、二、三年で仙人にしてあげられますよ」と提案します。
この提案を聞いた番頭は大いに喜び、権助の仙人への第一歩が、意外な形で実現することになります。しかし、その背後では、医者は苦い顔をして、女房の無責任な発言を心配していました。女房は医者の心配をよそに、「この厳しい世の中で生きていくには、少しの機転も必要です」と、自身の判断を正当化します。
こうして、権助の奇妙な旅が始まるのでした。
第二章:長きにわたる奉公
権助は、医者の家に二十年間もの長きにわたり奉公することになりました。この期間、彼は一文の給料も受け取ることなく、仙人になるためと信じて、厳しい労働を耐え忍びます。医者の家では、権助は庭の手入れから家の掃除、さまざまな雑用に至るまで、あらゆる仕事を任されました。彼はその仕事に一生懸命取り組み、仙人になる日を夢見て日々を過ごします。
この奉公は、医者の家の古狐と呼ばれる女房によって提案されたものでした。彼女は権助に対し、「二十年間奉公したら、仙人になる術を教えてあげる。その代わり、奉公中は一文の給料も出さない」という条件を提示しました。権助はこの厳しい条件を受け入れ、自らの目標に向かって努力を続けます。
権助が仙人になりたいと願ったのは、大阪の城を見て、いくら偉い人でも死を免れないことに気づき、人間の儚さを感じ取ったからです。仙人になれば、そのような死を超越できると信じていました。そのためには、どんな困難も乗り越える覚悟がありました。
医者の家では、権助の勤勉さが認められ、家族からも信頼されるようになります。しかし、医者とその女房の間では、権助が期待するような仙術を教えられるわけではなく、どう説明するかが時折話題に上がります。女房は夫に対し、「心配するな。何とかなるものだ」と言い、その都度、問題を先送りにします。
二十年間の奉公期間が終わると、権助は医者夫婦に対して深い感謝の意を表し、約束されていた仙人になるための術を教えてもらうことを期待しました。この長い期間、彼は自己犠牲と忍耐の精神で、目標に向かって一歩一歩進んできたのです。
第三章:仙人への試練と昇天
二十年の奉公を終えた権助は、いよいよ自分が夢見ていた仙人になる術を学ぶ時が来たと感じていました。彼は、医者夫婦の元を訪れ、「お約束の通り、不老不死になる仙人の術を教えていただきたい」と礼儀正しく願い出ました。医者は権助のこの要求に対して困惑し、正直に言って、実際に仙人になる術を知っているわけではありませんでした。そこで、医者は「仙人になる術は、実は私の女房が知っています。彼女に教えてもらうと良い」と言って、事の解決を女房に託しました。
医者の女房は、この状況を平然と受け止め、「では、仙術を教える前に、あなたがどれだけ真剣か試させてもらいます」と宣言し、権助に一つの試練を課しました。彼女は権助に対して、「庭の大きな松の木に登りなさい」という命令を下しました。この要求は、仙人になるための最初の試練として、権助に与えられたものです。
権助は迷うことなく、医者の家の庭にある大松へと登り始めました。女房はさらに、「もっと高く、もっとずっと高く登りなさい」と権助を駆り立てます。そして、最終的に、「右の手を放しなさい。その次に左の手も放しなさい」と、極めて危険な指示を出しました。この時、医者は心配になり、権助が落ちてしまうのではないかと恐れましたが、女房は冷静に「左の手を放しなさい」と権助に指示を続けました。
権助が女房の言葉に従い、左手を放した瞬間、誰もが彼が落ちてしまうと思いました。しかし、驚くべきことに、権助は空中で立ち止まり、仙人のように空を踏みながら青空へと昇って行きました。「おかげさまで、私も一人前の仙人になれました」と感謝の言葉を残し、権助は静かに高い雲の中へと消えていきました。
その後、医者夫婦に何が起こったのかは誰も知りません。ただ、医者の家の庭にあったその大松だけは、ずっと後まで残っていたといいます。権助の奉公と仙人への道のりは、彼の強い信念と医者夫婦の試練によって、奇跡的な結末を迎えたのでした。
芥川龍之介「仙人」の超・考察
芥川龍之介の「仙人」を考察するにあたり、いくつかの重要なテーマと文学的手法に注目してみます。
人間の欲望とその結末
物語の中心にあるのは、人間の根源的な欲望、すなわち「仙人になりたい」という権助の夢です。この欲望は、死を免れ、永遠の生を手に入れたいという人間普遍の願望を象徴しています。物語を通じて、この願望がどのように扱われ、最終的にどのような結末を迎えるかが描かれています。
狡猾さと真実
物語では、医者の女房が狡猾なキャラクターとして登場します。彼女は権助の欲望を利用し、二十年間も無償で奉公させるという計略を巡らせます。しかし、最終的に権助が仙人として昇天するシーンでは、彼女の計略が意図せず権助の夢を叶えることになります。この逆転は、狡猾さと真実、または計略と純粋な願望の関係性を示唆しています。
寓話的要素
「仙人」には寓話的な要素が含まれています。物語は現実離れした設定と展開を持ち、人間の欲望や道徳的な教訓を抽象的な形で表現しています。権助が最終的に仙人になるプロセスは、現実の物理法則を超えたものであり、寓話特有の象徴的な意味合いを持っています。
アイロニー
物語全体を通じてアイロニーが効果的に用いられています。最も顕著なのは、医者の女房が権助をだまして二十年間奉公させるものの、最終的には彼女の言葉通りに権助が仙人になるという展開です。このアイロニーは、期待を裏切る形で結末を迎えることで、読者に強い印象を与えます。
シンボリズム
物語におけるシンボリズムも重要です。特に、庭の松は物語において重要な役割を果たします。松に登るという行為は、権助が仙人になるための最後の試練となり、松自体が彼の夢を象徴しています。また、松が物語の最後にも残ることは、権助の達成した仙人としての存在が、物質的な世界に何らかの形で影響を与え続けることを示唆しています。
結論
芥川龍之介の「仙人」は、人間の欲望、狡猾さと真実、そして夢の実現というテーマを巧みに描き出した作品です。寓話的な要素、アイロニー、そしてシンボリズムを駆使することで、単なる物語以上の深い意味を持たせています。この作品は、芥川の独特な世界観と文学的才能を示すものとして、読者に多大な影響を与え続けています。
まとめ:芥川竜之介「仙人」の考察
上記をまとめます。
- 権助の夢は単なる逃避ではなく、人生の意味を探求する旅である。
- 医者の女房の策略は、権助の夢を意図せず叶えることとなる。
- 物語は、人間の欲望と真実、夢と現実の矛盾を描き出す。
- 寓話的な要素、アイロニー、シンボリズムなど、多彩な文学的手法が用いられる。
- 権助の夢の実現は、人間の可能性と限界を同時に示唆する。
- 医者の女房は、権助の夢を利用する狡猾な人物として描かれる。
- 松は、権助の夢と成長を象徴する重要な存在である。
- 物語の結末は、読者に深い余韻を残す。
- 芥川龍之介の独特な世界観と文学的才能が光る作品である。
- 人間の欲望の本質と、夢の実現の難しさについて考えさせられる。