江戸川乱歩「芋虫」の超あらすじ・ネタバレと映画「キャタピラー」

江戸川乱歩の短編小説『芋虫』は、戦争とその深刻な影響を個人の生活に焦点を当てて描いた作品です。この物語は、第二次世界大戦の激戦を生き延びたが重い肉体的損傷を負った須永中尉と、彼の変わり果てた姿に苦しみながらも献身的に介護をする妻時子の複雑な人間関係を通じて、戦争の残酷さと人間の内面の葛藤を鋭く描き出しています。

本記事では、『芋虫』のあらすじをネタバレ含めて紹介し、さらにこの小説をモチーフにした映画『キャタピラー』についても触れます。『キャタピラー』は、2010年に公開された若松孝二監督作品で、江戸川乱歩の『芋虫』とアメリカの小説『ジョニーは戦場へ行った』をベースにしたオリジナルストーリーを展開しており、戦争が個人と社会に与える影響を深く掘り下げています。

この記事のポイント
  • 江戸川乱歩の短編小説『芋虫』の基本的なプロットと主なテーマについて。
  • 第二次世界大戦が須永中尉と彼の妻時子の生活に及ぼした影響について。
  • 『芋虫』が映画『キャタピラー』にどのように採用されたかについて。
  • 戦争が個人の心理と人間関係に残す深刻な傷跡について。

江戸川乱歩「芋虫」の超あらすじ(ネタバレあり)

失ったものと残されたもの

第二次世界大戦の激しい戦いの中、須永中尉は極めて重い傷を負い、その結果、両手両足およびほとんどの感覚機能を失ってしまいました。残された感覚は視覚と聴覚のみで、これが彼の世界との唯一のつながりとなります。彼の意思を伝える手段は極めて限られており、目や体の一部をわずかに動かすこと、または口に鉛筆をくわえてカタカナを書くことでのみ、周囲の人々とコミュニケーションを取ることが可能です。

このような状態の須永中尉は、かつての上官である鷲尾少将の厚意により、鷲尾少将の邸宅の一角にある離れを提供され、そこで妻の時子に全ての世話をしてもらうことになります。時子は夫の介護を一手に引き受け、日々、彼の身の回りの世話を献身的に行います。

鷲尾少将は時子と会うたびに、彼女の献身的な姿勢を高く評価し、「自分のことを後回しにしてまで、こんなにも須永中尉に尽くしている。本当に感心する」という旨の言葉を繰り返し述べます。これらの言葉は、最初のうちは時子にとって励みとなり、彼女の介護への情熱をかき立てました。

しかし、時間が経つにつれ、鷲尾少将の褒め言葉が時子にとっては重荷となり、不安を感じるようになります。それは、夫の変わり果てた姿を前にして、時子自身の感情が徐々に変化していったからです。夫への介護生活が長く続く中で、時子は夫をかつてのような人間とはみなせなくなり、その存在に対して複雑な感情を抱くようになってしまったのです。

心の変化

戦争からの帰還後、須永中尉と時子は内地の病院で久しぶりに再会します。その時、時子は夫の姿に深い悲しみを覚え、人目も構わずに泣き続けました。須永中尉の身体の一部を失った代わりに、彼には国から金鵄勲章が授けられました。この勲章は彼の勇敢さを称えるもので、親戚や地域の人々が祝福に駆けつけ、一時期は彼の周りが賑やかになります。しかし、時が経つにつれ、世間の関心は薄れ、須永中尉は徐々に忘れ去られていきます。

この孤独感の中で、時子はある日、夫が口に鉛筆をくわえてカタカナで文字を書くことで会話を試みることを思いつきます。須永中尉が最初に書いたのは「クンショウ」と「シンブン」という言葉でした。これらは自分の受賞した勲章と、自分に関する新聞記事の切り抜きに関することでした。当初はこれらの記憶に満足していたようですが、次第にそれらにも飽き、日常の無力さを痛感するようになります。

須永中尉の食欲と性欲は、不自由な身体であるがゆえに、以前よりも旺盛になりました。かつて軍隊で教え込まれた倫理観と、抑えがたい欲求が彼の内面で衝突しているようで、苦悶の表情を見せることがありました。時子は夫のこのような表情を見たいという奇妙な願望を持ち始め、それが彼女をより積極的に夫に迫らせる原因となりました。この変化は、夫婦関係における新たな動きとなり、時子の心の中で複雑な感情が渦巻くようになります。

増大する緊張

ある晩、時子は不穏な夢から目を覚ますと、隣で眠る夫、須永中尉の姿が目に入りました。夫はじっと天井を見つめており、その静かな姿が時子には異様に映りました。この光景に対する時子の感情は複雑で、彼女の中で怒りや憎悪に似た強い感情が湧き上がってきました。この感情は、時子が夫に対して抱く、名状しがたい緊張感と不満の表れでした。

この夜、時子の感情は一線を越えます。彼女は突然、夫の布団に飛びかかり、彼に対して思わず暴力的な行動を取ってしまいます。須永中尉はこの突然の攻撃に怒り、時子を厳しいまなざしで見つめます。時子は通常、夫に対して情愛を示すことで和解を図るのですが、この時は夫も妥協することなく、強いまなざしで彼女を見つめ続けました。

時子は「なんだい、こんな眼」と叫びながら、興奮のあまり、夫の目を傷つけてしまいます。この行為の直後、時子は自分の行動に驚愕し、何をしてしまったのかという混乱と恐怖に陥ります。彼女はすぐさま医者を呼びに走りますが、その間も夫は痛みと苦しみの中でもがき続けていました。

医者が到着して夫に手当てを施し、痛みを和らげる注射を打ちますが、時子の心の傷は深く、この事件が二人の関係にどのような影響を与えるのか、彼女は深く悩みます。医者が去った後、夫は依然として苦しみ続け、時子は自分の行動に対する罪悪感と恐怖でいっぱいになります。

罪悪感と贖罪

医者が去った後、静けさが再び須永家の離れを包みます。この静寂の中で、時子は深い罪悪感と衝撃に襲われます。彼女は夫、須永中尉の傍らに座り、優しく彼の胸をさすりながら、「すみません」と何度も繰り返し謝罪します。時子の心の中では、行き過ぎた行動に対する後悔と、夫への深い愛情が葛藤していました。彼女は夫の胸に、指で「許して」という言葉を何度も何度も書きますが、須永中尉からの明確な反応はありませんでした。

罪悪感に苛まれた時子は、自らの行為を深く反省し、「なんということをしてしまったのだろう」と自問自答します。彼女は、人間らしい姿を取り戻したいという切実な願いを抱き、解決策を求めて鷲尾少将の母屋へと足を運びます。そこで時子は、夫に対して行った行為について、鷲尾少将に長時間にわたり懺悔します。この懺悔は、時子にとって、夫への裏切り行為に対する贖罪の意味も含んでいました。

懺悔の後、鷲尾少将と共に離れに戻った時子を待っていたのは、思いもよらない光景でした。部屋は空で、夫の姿はどこにもありません。彼が寝ていた場所には、「許す」というメッセージが残されていただけでした。このメッセージは、須永中尉が最後に残した言葉であり、夫婦の間にあった深い絆と、時子への許しを象徴するものでした。

時子は慌てて外に出て、鷲尾家の召使いを集めて夫を探し始めます。この時、彼女は庭にある古井戸の存在を思い出し、鷲尾少将と共にそちらに向かいます。古井戸の方向からは、かすかな音が聞こえていました。時子の心は、不安と希望で満たされていました。

終わりと新たな始まり

深夜の静寂の中、時子と鷲尾少将は古井戸に向かって急いでいました。井戸の近くに来ると、ほのかに物音が聞こえてきます。二人は息をのみながら、その音の源を探しました。そして、井戸の縁に近づくと、須永中尉の姿を目にします。彼は、身体の隅々についた瘤のような突起を使って、もがくようにして地面を掻き進んでいました。この瞬間、時子の心は複雑な感情で満たされます。夫が、まるで別の存在に変わってしまったかのように見えましたが、同時に彼女の愛する夫であることに変わりはありませんでした。

しかし、その次の瞬間、須永中尉は井戸に落下し、ドボンという音が夜の静けさを切り裂きます。時子と鷲尾少将は井戸の中を覗き込むも、すでに須永中尉の姿は見えません。この出来事は、須永中尉が最後に自ら選択した道であり、彼の苦悩に対する終止符を意味していました。

時子はこの瞬間、深い喪失感とともに、ある種の解放感を感じました。夫がこの世の苦しみから解放されたこと、そして自分自身もまた、罪悪感と悲しみの重荷から解放されたことを実感します。この体験を通じて、時子は人生の脆弱性と愛の力を深く理解します。

夜が明け、新たな日が始まると、時子は変わり果てた夫との関係を振り返ります。須永中尉の最後のメッセージ「許す」を胸に、時子は前に進む決意を固めます。このメッセージは、夫からの最後の贈り物であり、時子にとって新たな人生を歩むための支えとなります。

江戸川乱歩「芋虫」の感想・レビュー

この物語は戦争が人間の身体と心に残す深い傷跡を、鮮やかにかつ繊細に描き出しています。主人公である須永中尉とその妻時子の関係を通じて、戦争のトラウマがどのように人間関係を変えてしまうのか、その複雑な心理を深く掘り下げています。

物語の展開は、戦争が個人の人生に与える影響の大きさと、それを乗り越えようとする人々の苦悩と努力を描いています。特に、須永中尉の肉体的な損失とそれに伴う精神的な変化、さらには時子の献身的な介護と内面での葛藤は、読者に深い感銘を与えます。

物語は、須永中尉が身体的には「芋虫」のようになってしまったことから始まりますが、この比喩は彼の人間としての尊厳が失われていく過程を象徴しています。しかし、その一方で、彼と時子との関係の中で見せる人間性の断片は、戦争による損失を超える何かを示唆しています。

時子の変化もまた注目すべき点です。彼女は最初は夫への献身的な介護者として描かれますが、物語が進むにつれて、彼女の内面で起こる葛藤が明らかになります。彼女の行動の背後にある動機は複雑で、愛情と罪悪感、そして最終的には解放への願いが絡み合っています。彼女の最終的な行動は、夫婦関係の終焉を象徴しており、同時に新たな始まりへの扉を開くものとも言えます。

この物語は、戦争が個人の心に残す傷跡と、その傷を乗り越えようとする人々の姿を通じて、人間の脆さと強さを同時に描き出しています。また、人間が直面する倫理的な問題、愛とは何か、許しとは何かという普遍的なテーマを深く探求しています。読者はこの物語を通じて、戦争の悲劇だけでなく、人間関係の複雑さと美しさについても考えさせられます。

江戸川乱歩「芋虫」と映画「キャタピラー」

映画『キャタピラー』は、2010年に公開された若松孝二監督による作品です。この映画は、二つの重要な文学作品をモチーフとしています。一つはアメリカの小説『ジョニーは戦場へ行った』であり、もう一つが日本の推理小説家、江戸川乱歩の短編小説『芋虫』です。特に『芋虫』との関連は、映画の創造において極めて深い影響を与えています。

江戸川乱歩の『芋虫』は、戦争で四肢を失った元兵士と、その変わり果てた姿に苦悩しながらも献身的に介護をする妻の物語を描いています。この物語は、戦争による肉体的、精神的な傷跡と、それがもたらす人間関係の歪みを鋭く描写しており、『キャタピラー』の主要なテーマである戦争の愚かさと悲劇を象徴する作品として、若松監督によって選ばれました。

『キャタピラー』では、『芋虫』の基本的なプロットを踏襲しつつ、戦争とその後の人間ドラマをより深く掘り下げています。映画では、主人公の黒川久蔵が日中戦争で四肢を失い、村に帰還するところから物語が始まります。彼は「不死身の兵士」として英雄視される一方で、実際には重い身体的、心理的なダメージを抱えています。久蔵の妻、シゲ子は夫の世話を一手に引き受けますが、彼女自身もまた、夫の変貌に苦しみ、戦争が二人の関係にもたらした痛みと葛藤に直面します。

若松監督は、『芋虫』の物語を現代に蘇らせることで、戦争が個人に与える深刻な影響と、それを乗り越えようとする人間の強さと脆さを描き出しています。また、2010年ベルリン国際映画祭での寺島しのぶの最優秀女優賞受賞は、映画が描くテーマの普遍性と、演技による深い人間ドラマの表現が国際的にも認められた証と言えるでしょう。

『キャタピラー』は、江戸川乱歩の『芋虫』という文学作品を基にしつつ、戦争のリアリティと、その中で生きる人々の苦悩を現代の視点から再解釈し、映像化することに成功した作品です。この映画は、戦争という過酷な状況下での人間性の探求と、愛と絶望の間で揺れ動く心理の複雑さを見事に表現しています。

まとめ:江戸川乱歩「芋虫」の超あらすじ(ネタバレあり)と映画

上記をまとめます。

  • 江戸川乱歩の『芋虫』は第二次世界大戦を背景にした短編小説
  • 主人公は戦争で四肢を失った須永中尉
  • 中尉の妻、時子は夫の介護を一手に引き受ける
  • 物語は夫婦の関係と戦争の影響を深く探る
  • 中尉の変わり果てた姿に時子の感情は複雑に変化
  • 時子は夫を介護する中で内面の葛藤に直面
  • 物語は夫の身体的、精神的苦痛を描写
  • 映画『キャタピラー』は『芋虫』をモチーフに制作
  • 映画は戦争が人間に及ぼす影響を現代的視点で描く
  • 『キャタピラー』は2010年に公開、若松孝二が監督