
「Closet」のあらすじ(ネタバレあり)です。「Closet」未読の方は気を付けてください。ガチ感想も書いています。この物語は、日常に潜む歪みと、人間の心の奥底に隠された感情を巧みに描き出しており、一度読み終えただけでは気づけない仕掛けに満ちています。
この物語の魅力は、なんといってもその構成の妙にあります。読者はある登場人物の視点を通して物語を追いかけることになりますが、最後に明らかになる真実は、それまでの認識を根底から覆すものです。この驚きこそが、乙一作品の醍醐味の一つと言えるでしょう。
「Closet」は、閉塞的な状況の中で登場人物たちがどのように動き、何を感じるのかが克明に描かれています。それぞれの行動には理由があり、その理由が明らかになるにつれて、物語はより一層深みを増していきます。
この記事では、「Closet」の物語の核心に触れながら、その詳細な流れと、私がこの作品から受け取った感動や考えさせられた点について、詳しくお伝えしていこうと思います。どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
「Closet」のあらすじ(ネタバレあり)
物語は、主人公ミキが夫イチロウの実家を訪れるところから始まります。しかし、ミキは母屋に入る前に、イチロウの弟であるリュウジに自室へと呼ばれます。リュウジの部屋で、ミキは自身の過去に関する秘密――かつて友人と共に起こしたひき逃げ事件――をリュウジに知られていることを告げられます。リュウジは、その秘密をネタに、自身の作品の題材にしたいとミキに迫るのでした。緊迫した会話の後、ミキがリュウジの部屋を出て数分後、リュウジは自室で遺体となって発見されます。ミキの手には、凶器と思われる灰皿が握られていました。状況だけを見れば、ミキが犯人であると誰もが疑うでしょう。
リュウジの部屋のドアがノックされ、編集部からの電話だと母親が告げに来ます。しかし、部屋には内側から鍵がかかっており、母親は諦めて去ります。一人残されたミキは、リュウジの遺体を隠蔽することを決意します。部屋にあった大きなクローゼットに遺体を隠そうと試みますが、なぜかクローゼットの扉は開きません。鍵の調子が悪いのかと考えたミキは、最終的に自分の旅行鞄にリュウジの遺体を押し込め、リュウジの部屋の鍵と物置の鍵を持ち去りました。翌朝、何も知らないイチロウの両親と妹のフユミと共に朝食をとるミキ。リュウジが姿を見せないことを不審に思った父親が部屋を確認しに行きますが、誰もいなかったと戻ってきます。
その後、フユミはミキに対し、「リュウジは部屋で殺された」という匿名の告発手紙が届いたことを明かします。フユミはイチロウが怪しいのではないかと疑いの目を向け始め、独自に調査を進めようとします。その動きに、ミキは遺体を運び出すタイミングを逸してしまいます。さらに翌日には、「灰皿で殺された」という第二の手紙が届き、事態はより緊迫の度合いを増します。追い詰められたミキは、フユミをリュウジの部屋に呼び出し、そこでフユミは二人の男を連れて現れます。彼らはフユミの後輩で、クローゼットを運び出すために呼ばれたのでした。フユミは、ミキこそが犯人だと確信し、証拠を突きつけながら問い詰めます。
絶体絶命のミキでしたが、ここで驚くべき告白をします。あの日、リュウジと話した後、ミキは物置にイチロウの絵を見に行っており、数分後に部屋に戻るとリュウジはすでに絶命していたと語ります。犯人はリュウジの部屋の合鍵を持つ人物であり、殺害後も部屋から出ていない可能性を示唆します。ミキが遺体をクローゼットに隠そうとした際、扉が開かなかったのは、犯人が内側から押さえていたからだというのです。そして今、この部屋にフユミを呼び出したのは、真相に気づいたと思った犯人が再びクローゼットに潜むと考えたからでした。二人がクローゼットにいくつかの質問を投げかけた後、意を決して扉を開けると、そこにはイチロウの顔があったのでした。物語の語り手は、実はミキではなく、最初からイチロウだったのです。
「Closet」の感想・レビュー
乙一先生の「Closet」を読了したときの衝撃は、今でも鮮明に覚えています。この作品の素晴らしさは、何よりもまず、その巧みな叙述トリックにあると言えるでしょう。物語は終始、ある人物の視点から語られているように思わせておきながら、最後の最後でその前提がひっくり返されるのです。私が読んでいる間、完全に語り手の術中にはまっていたことに気づいた瞬間の驚きと、それまでの伏線が一気に繋がる快感は、ミステリ作品を読む醍醐味を凝縮したような体験でした。
物語の冒頭から、読者は「ミキ」という女性の視点で物語を追っていると自然に認識します。彼女の不安や焦り、そして追い詰められていく心理描写は非常に巧みで、読者は彼女に感情移入し、彼女の視点から事件の真相を探ろうとします。リュウジとの会話、死体の発見、隠蔽工作、そしてフユミからの追及。これらの出来事が、「ミキ」のフィルターを通して語られることで、私たちは完全に彼女の立場から物語を体験していると信じ込んでしまいます。
しかし、最後のページで明らかになるのは、この物語の本当の語り手が、ミキの夫である「イチロウ」であったという事実です。この暴露によって、それまで読んできたすべての場面が、まったく異なる意味合いを帯びてくるのです。例えば、ミキがクローゼットに遺体を隠そうとして開かなかった場面。私たちはミキと共に「鍵の調子が悪いのかな」などと考えますが、実際にはイチロウが内側から必死に押さえていた。この一つの事実が明らかになるだけで、物語の緊張感や登場人物の行動原理が一変します。
イチロウの動機や心理を考えると、物語はさらに複雑な様相を呈してきます。なぜ彼はリュウジを殺害したのか。そして、なぜ妻であるミキにその罪を着せようとしたのか。あるいは、彼は本当にミキに罪を着せようとしていたのでしょうか。彼がクローゼットの中に潜んでいたのは、ミキが真相に気づくことを見越してのことだったのか、それとも単に追いつめられた末の行動だったのか。このあたりは明確には語られませんが、それゆえに読者の想像力を刺激します。
イチロウの視点から物語を再構築してみると、彼の孤独や歪んだ愛情のようなものが見え隠れするようにも感じられます。彼がミキの過去の秘密を知り、弟であるリュウジがそれをネタにミキを苦しめようとしていることを知ったとき、彼の中で何かが壊れたのかもしれません。あるいは、もっと以前から、彼の中にはリュウジに対する複雑な感情や、ミキに対する独占欲のようなものが渦巻いていたのかもしれません。クローゼットという閉鎖された空間は、イチロウ自身の心の閉塞感や、歪んだ秘密を象徴しているかのようです。
フユミというキャラクターも、この物語において重要な役割を果たしています。彼女は鋭い洞察力で事件の真相に迫ろうとし、ミキ(実際にはイチロウ)を追い詰めていきます。彼女の存在がなければ、イチロウの計画はもっと早く破綻していたかもしれませんし、あるいは完全に成功していたかもしれません。彼女の純粋な正義感や探求心が、結果的にイチロウをクローゼットの中に追い込むことになったと考えると、皮肉なものを感じます。
この作品を読んでいて特に感心したのは、叙述トリックを成立させるための細部の描写の見事さです。語り手がイチロウであると分かった上で読み返すと、随所に「なるほど、そういうことだったのか」と膝を打つような記述が見つかります。例えば、ミキ(イチロウ)がリュウジの部屋の鍵や物置の鍵を持ち去る場面。これは、イチロウが自身の犯行を隠蔽し、かつミキに疑いの目を向けさせるための行動だったと解釈できます。また、ミキ(イチロウ)が「自分の旅行鞄に死体を隠した」という記述も、イチロウの冷静さと計画性を感じさせます。
乙一先生の描く恐怖は、派手なスプラッターや超常現象によるものではなく、人間の心の内に潜む闇や、日常がふとしたきっかけで崩壊していく様を描くことによって生まれる、じっとりとした質のものです。「Closet」もその例に漏れず、家庭という閉鎖的な空間で起こる殺人事件と、その裏に隠された人間の複雑な感情が、静かな筆致で、しかし強烈な印象を残すように描かれています。
この物語の結末は、ある意味で救いがありません。イチロウの犯行は明らかになり、彼がどのような運命を辿るのかは読者の想像に委ねられます。ミキは、夫が弟殺しの犯人であり、あまつさえ自分にその罪を着せようとしていた(かもしれない)という過酷な真実と向き合わなければなりません。しかし、このやるせない結末こそが、「Closet」という作品の持つリアリティと深みを際立たせているように思います。
叙述トリックを用いた作品は数多くありますが、「Closet」はその中でも特に完成度が高い一作だと感じます。トリックの巧妙さだけでなく、それによって浮き彫りになる人間の心理描写が秀逸であり、読後に深い余韻を残します。なぜイチロウはミキの視点を借りるように語ったのか。それは、ミキへの歪んだ愛情の現れなのか、それとも自己保身のための巧妙な計算だったのか。読者は、この問いに対する自分なりの答えを探し続けることになるでしょう。
「Closet」は、ミステリとしての面白さはもちろんのこと、人間の心の不可解さや、愛憎の複雑さを描いた物語としても、非常に読み応えのある作品です。乙一先生のファンはもちろん、まだ読んだことのない方にも、ぜひ一度手に取っていただき、この見事な仕掛けと、心に深く刻まれる物語を体験してほしいと願っています。読み終えた後、きっとあなたはもう一度最初からページをめくり、語り手の巧妙な罠に改めて驚嘆することでしょう。そして、クローゼットという言葉を聞くたびに、この物語の持つ独特の薄暗い雰囲気と、そこに隠された秘密を思い出してしまうかもしれません。
まとめ
- 「Closet」は、ミキが夫イチロウの弟リュウジの部屋で、過去の秘密を知られたことから物語が大きく動きます。
- 数分後、リュウジは遺体となり、状況証拠はミキが犯人であることを示唆していました。
- ミキはリュウジの遺体を自身の旅行鞄に隠し、部屋の鍵を持ち去ります。
- イチロウの妹フユミは、匿名の告発手紙を受け取り、事件の調査を始めます。
- フユミはミキを犯人だと疑い、追い詰めていきます。
- 追い詰められたミキは、リュウジが殺害された時、自分は部屋にいなかったと告白します。
- ミキは、犯人がリュウジ殺害後も部屋に潜んでおり、クローゼットが開かなかったのは犯人が内側から押さえていたからだと推理します。
- 真相に気づいた犯人が再びクローゼットに潜むと考えたミキは、フユミをリュウジの部屋へ呼び出します。
- クローゼットを開けると、そこにはミキの夫イチロウが潜んでいました。
- 物語の本当の語り手は、ミキではなく、最初からイチロウであったことが最後に明らかになります。