
あやかしの鼓のあらすじ(ネタバレあり)です。あやかしの鼓未読の方は気を付けてください。ガチ感想も書いています。
夢野久作の処女作として知られるこの作品は、単なる怪奇譚では語り尽くせない深いテーマを内包しています。呪われた鼓が織りなす因果応報の物語は、読者を時に戦慄させ、時に人間の業の深さに思いを馳せさせます。主人公・音丸久弥が辿る数奇な運命は、読み進めるごとに読者の胸に重くのしかかり、その結末はまさに衝撃の一言。鼓の音に秘められた怨念が、時を超えて人々を翻弄する様は、夢野久作ならではの独特な世界観を存分に堪能できるでしょう。
この物語は、音丸久弥という青年が、自らの体験を「遺書」として書き記す形式で進みます。語り部である久弥は、祖先が作り出したという「あやかしの鼓」にまつわる奇怪な出来事に巻き込まれていくのです。
彼の周囲で次々と起こる不審な死や不可解な出来事は、すべてこの鼓の呪いと深く関わっています。久弥は、能小鼓の名人である高林先生のもとで育ち、鼓の音に異常なほどの執着を見せます。
そして、ついにその呪われた鼓「あやかしの鼓」と対峙することになるのです。彼の人生は、この鼓によって大きく狂わされ、抗うことのできない運命の渦に巻き込まれていきます。
果たして、久弥は「あやかしの鼓」の呪いから逃れることができるのでしょうか。そして、この物語が辿り着く衝撃の結末とは一体……。
あやかしの鼓のあらすじ(ネタバレあり)
「私」こと音丸久弥は、大正十三年、自らの身に起こった数々の怪奇な出来事を遺書として書き始めます。物語は、今からおよそ百年前、江戸時代の文政の頃に遡ります。京都に住む鼓作りの名人、音丸久能は、公家の綾姫に恋焦がれていました。しかし、綾姫は久能の思いを知りながら、同じ公家の鶴原卿に嫁いでしまいます。失意の久能は、恨みを込めて作った鼓を綾姫に贈ります。これが後に「あやかしの鼓」と呼ばれる、呪われた鼓の誕生でした。
嫁いだ綾姫がこの鼓を打つと、陰鬱な音が響き渡り、やがて彼女は鼓を打ち続けるうちに自害してしまいます。夫の鶴原卿もまた、病に倒れて亡くなります。久能は鼓を取り戻そうと鶴原家へ忍び込みますが、斬りつけられ、その傷がもとで絶命します。彼は死の間際、鼓を取り返すよう遺言しますが、その思いは叶いませんでした。綾姫の実家は没落し行方知れずとなる一方、鶴原家は維新後、子爵となり東京へ移り住みます。
音丸家では、久能の孫である久意の代に長男・久禄が生まれますが、六歳で他家へ養子に出されます。その後、久弥が生まれます。久弥の父は、三年前、鶴原家の奥方が「あやかしの鼓」を見せに来たことを久弥に話します。鳴らない鼓の相談を受けた父は、方便で鼓をしまっておくよう答えたといいます。奥方が鼓を打ったためか、その夫である子爵も病死しました。父は久弥に、鼓に関わらないよう、鶴原家に近づかないよう言い残して亡くなります。
父の死後、久弥は鼓打ちの高林先生のもとで世話になります。先生の養子である靖二郎が家出をしたばかりでした。久弥は鼓を教わりますが、一向に上達しません。彼は普通の鼓の「ン」の音が嫌で、ポ……ポ……という響きのない音を求めます。そして、鶴原家にあるという名高い鼓、つまり「あやかしの鼓」を借りられないかと先生に尋ねますが、即座に却下されます。
やがて大正十一年、二十一歳になった久弥は、高林家の跡継ぎと定められます。ある日、先生の使いで鶴原家を訪れた久弥は、鶴原未亡人の甥と名乗る書生、妻木に出会います。久弥が持参したのは、若先生の七回忌のお茶でした。妻木と打ち解けた久弥は、「あやかしの鼓」を見せてくれるよう頼みます。妻木は承諾し、久弥が「音丸」姓であることに気づき、高林家の若先生・靖二郎が七年前に「あやかしの鼓」を打ったために呪われ、姿を消したことを明かします。
妻木は不眠症で、未亡人の処方する睡眠薬を飲んでおり、その間に未亡人が鼓を打っているようだと話します。彼は鼓の場所を知らず、この家で七年間を過ごしているといいます。久弥は妻木に案内され、鉄のベッドと皮の鞭が置かれた監獄のような妻木の寝室、そして鶴原子爵が亡くなった部屋を見ます。さらに奥の未亡人の部屋では、四つの鼓が置かれており、その一つが「あやかしの鼓」であることに久弥は気づきます。妻木は笑い、自分が七年前に高林家を出た靖二郎だと告白します。
靖二郎は久弥に、次に訪れたときに「あやかしの鼓」が久弥のものになるよう手配するので、音丸家の先祖の遺言通りに鼓を壊してほしいと懇願します。鶴原家を出た久弥は、道中で二十四、五歳の婦人とすれ違います。やがて靖二郎から招待状とお金が届き、再び鶴原家を訪れた久弥は、奥座敷に置かれた四つの鼓を目にします。未亡人が現れ、「あやかしの鼓」を打って本来の音色を出せるなら喜んで譲ると言い、鼓と自分との因縁を断ち切ってほしいと涙ながらに語ります。
久弥は未亡人の言葉に従い、鼓を打ち始めます。ポ……ポ……という音が響き、鼓が手に馴染むにつれて、久能の恨み、恋に破れた者の呪いの声、無念の響きが余韻として聞こえてくるようになります。この音こそ、百年前、綾姫が聞いて自害した音でした。鼓を打ち終えた久弥は背中に悪寒を感じます。未亡人は初めてこの鼓の本来の音色を聞いたと礼を言い、自分が綾姫の血筋であることを明かします。
未亡人は「あやかしの鼓」との別れの祝いだと、久弥に酒を勧めます。久弥が酔うと、未亡人は酔い覚ましと称して水を飲ませ、久弥はそのまま眠り込んでしまいます。目覚めると、久弥は女物の夜具をかぶって夜を迎えていました。そばには未亡人がいて、高笑いしながら「とうとうあなたは引っかかったのね、可愛い坊ちゃん」と告げます。久弥は自分が未亡人の罠にかかったことを悟ります。
未亡人は、先日すれ違ったときに久弥が音丸久弥だと気づいたこと、妻木に命じて誘いの手紙を書かせたこと、そして妻木に飽きたので久弥と一緒に遠くへ逃げて所帯を持ちたいと思っていること、そのため全財産をカバンに入れていることを説明します。久弥が覚悟を決めかねていると、未亡人は鞭を持ち出してきます。彼女の前夫は鞭で責め殺され、妻木もまた鞭で責められて死骸のようにおとなしくなったと話します。綾姫の霊が乗り移ったかのような未亡人の姿に恐怖した久弥は、ついに彼女の申し出を受け入れてしまいます。
その時、「奥さん、火事です」と叫びながら飛び込んできた妻木が、懐剣で未亡人を刺します。妻木は久弥に、未亡人につけられた鞭の痕を見せ、こんな風にされるのが気持ちよくなるほど堕落したと語ります。そして、自分は六歳のときに高林家に売られた久弥の兄、久禄であると正体を明かします。久禄の指示に従い、久弥はお金の入ったカバンを持って鶴原家を脱出します。
その後、新聞で鶴原家が火事になり、未亡人と妻木の死体が見つかったことを知った久弥は、日本の各地を放浪します。三年ぶりに東京へ戻り、高林家の様子をうかがうと、先生に今夜内緒で部屋に来るよう言われます。その夜、裏庭に忍び込むと、ポポポ……と「あやかしの鼓」の陰気な音が聞こえてきます。それが次第に明るく、普通の音色に変わっていき、名曲「翁」の鼓の手が響きます。久弥は心の中で謡い合わせます。
やがて鼓の音がぴたりと止み、先生の部屋に入ると、先生はすでに息絶えていました。久弥は鼓を抱えて逃げ出します。鼓の箱には先生からの手紙が入っており、お金が添えられ、遠方へ行って見込みのある者に鼓を教えてやってほしいという内容でした。遠方へ逃れた久弥は、新聞によって自分が鶴原未亡人、妻木、高林先生の三人を殺した殺人犯とみなされていることを知ります。観念した久弥は、ここまでの経緯を遺書として書き記したのでした。久弥はこれから「あやかしの鼓」を壊し、自らも命を絶つつもりだ、と遺書は締めくくられています。
あやかしの鼓の感想・レビュー
夢野久作の「あやかしの鼓」を読み終えた時、私の胸には何とも形容しがたい感情が渦巻いていました。単なる怪談では片付けられない、人間の持つ根源的な闇と、それに翻弄される弱さが、これほどまでに鮮烈に描かれている作品は稀でしょう。この作品は、まさに読者の魂の奥底を揺さぶるような、強烈な印象を残します。彼の処女作にして、既にその才能が十二分に発揮されていることに、ただただ驚かされるばかりです。
まず、この物語の形式が非常に興味深いですね。主人公である音丸久弥が、自らの身に降りかかった恐ろしい出来事を「遺書」として書き記す、という体裁。これがまた、読者に独特の緊張感を与え、物語の展開をより一層引き立てています。まるで久弥の独白を聞いているかのような臨場感があり、彼の絶望や狂気がひしひしと伝わってくるのです。口語調で綴られているため、非常に読みやすく、一度読み始めると途中でやめられない吸引力があります。
そして、この作品の核心にある「あやかしの鼓」という存在。これほどまでに魅力的な呪物があるでしょうか。単なるモノではなく、百年以上も前に込められた憎悪と怨念が、時を超えて人々に影響を及ぼす。その設定自体がまず秀逸です。鼓の音色に込められた久能の恨み、そしてそれを聞いた綾姫の自害。鼓の音に、まさかそこまでの力が宿るとは、並大抵の想像力では生み出せない発想です。
久弥が鼓の音に対して抱く異様なまでのこだわりも、非常に印象的でした。彼が「ポンポン」という音の「ン」が嫌で、「ポ……ポ……」という響きのない音を求める姿は、常軌を逸しているように見えます。しかし、その「ポ……ポ……」という音が、まさに「あやかしの鼓」の本来の音色であり、久能の恨みが凝縮された音だったと知った時、背筋が凍るような感覚を覚えました。彼のこだわりは、単なる趣味ではなく、鼓の呪いに引き寄せられていく前兆だったのかもしれません。
鶴原未亡人という登場人物も、強烈なインパクトを残します。彼女の持つ妖艶さと狂気は、読者の心を鷲掴みにします。特に、彼女が鞭を持ち出し、久弥を自身の罠にはめようとする場面は、本作の中でも最もゾッとさせられるシーンの一つです。大正時代に書かれた作品で、ここまで直接的な表現ではないにしても、SM的な要素が描かれていることに驚きを禁じ得ません。夢野久作の先見性、あるいは当時の文化の一端を垣間見たような気がしました。
さらに、妻木と名乗る男の正体が、久弥の兄・久禄であったという事実。これもまた、物語に深みと複雑さをもたらしています。久禄の境遇もまた、非常に悲劇的です。六歳で高林家に売られ、未亡人に鞭で責められて心身ともに堕落していく。彼もまた、「あやかしの鼓」の呪い、あるいはそれに付随する人間の業に囚われた一人と言えるでしょう。兄弟でありながら、互いの存在を知らず、このような形で再会し、そして共に悲劇的な結末へと向かっていく様は、なんとも切なく、胸を締め付けられます。
物語の終盤、高林先生が「あやかしの鼓」を打ち、その陰気な音色が次第に明るく変わっていく場面は、非常に象徴的です。先生が鼓を打ち、最期を迎えることで、鼓の呪いが一時的に浄化されたかのように見えます。しかし、久弥が三人の殺人犯として追われることになり、最終的に自ら命を絶つことを決意するという結末は、呪いが完全に解けたわけではないことを示唆しています。むしろ、呪いは形を変えて、久弥を追い詰めていくのです。
この作品は、単なる怪奇現象を描いているわけではありません。そこには、人間の欲望、憎悪、そして愛といった、普遍的なテーマが潜んでいます。久能の綾姫への執着と恨み、鶴原未亡人の久弥への歪んだ愛情、そして久弥自身の鼓への異常なまでの執着。これらすべてが絡み合い、登場人物たちを破滅へと導いていくのです。鼓はあくまで媒体であり、真の呪いは人間の心の中にこそ存在すると言えるでしょう。
夢野久作の筆致は、時に繊細で、時に荒々しく、読者の感情を揺さぶります。特に、心理描写の巧みさは目を見張るものがあります。久弥の内面の葛藤や恐怖、狂気が、まるで目の前で起こっているかのように伝わってきます。彼の文章からは、独特の美的感覚と、人間の深淵を見つめる鋭い視線が感じられます。
「あやかしの鼓」は、単なる怪奇小説としてだけでなく、人間の心理の深奥に迫る文学作品としても高く評価されるべきです。読み終えた後も、鼓の陰鬱な音色が耳に残り、登場人物たちの悲劇的な運命が脳裏に焼き付いて離れません。夢野久作の世界観に触れる第一歩として、この作品は間違いなく最適な一作です。彼の他の作品も読みたくなる、そんな強い衝動に駆られます。
この作品は、読者に多くの問いを投げかけます。運命とは何か、人間の業とは何か、そして真の幸福とは何か。呪われた鼓を通じて、私たちは自らの心の闇と向き合うことを余儀なくされます。そして、その問いに対する答えは、読者それぞれが心の中に探すしかありません。だからこそ、「あやかしの鼓」は、時代を超えて読み継がれる名作であり続けるのでしょう。
最終的に、久弥が自ら鼓を壊し、命を絶つことを選ぶという結末は、悲劇的ではありますが、ある種の解放を意味しているのかもしれません。呪いから完全に逃れる唯一の道が、この行為だったとすれば、それは彼にとっての救済だったのかもしれません。しかし、残された遺書は、そのすべてを静かに語り継いでいくことでしょう。
まとめ
あやかしの鼓のあらすじ(ネタバレあり)を以下に箇条書きでまとめました。
- 江戸時代の鼓作りの名人、音丸久能は、公家の綾姫に恋焦がれるが、彼女は鶴原卿に嫁いでしまう。
- 久能は恨みを込めた鼓を綾姫に贈り、それが「あやかしの鼓」となる。
- 綾姫は鼓を打つうちに自害し、夫の鶴原卿も病死。久能も鼓を取り戻そうとして命を落とす。
- 「私」こと音丸久弥は、百年後の大正時代に生きる久能の子孫で、鼓の音に異常なこだわりを持つ青年。
- 久弥の父は、鶴原家の奥方が鳴らない「あやかしの鼓」を持って現れた後、その奥方の夫が病死したことを久弥に伝える。
- 高林先生の養子である靖二郎が、七年前に「あやかしの鼓」を打って姿を消したという噂が流れる。
- 久弥は鶴原家を訪れ、未亡人の甥と名乗る書生・妻木と出会い、「あやかしの鼓」を見せてもらう。
- 妻木は実は家出した靖二郎であり、彼は久弥に鼓を壊してほしいと頼む。
- 未亡人は久弥に「あやかしの鼓」を打たせ、久能の恨みがこもった音色を聞かせる。
- 未亡人は綾姫の血筋であることを明かし、久弥を罠にかけて隷属させようとするが、靖二郎(久禄)によって刺殺される。
- 靖二郎は久弥の兄・久禄であることが判明し、久弥は久禄の指示で金の入ったカバンを持って鶴原家を脱出する。
- 鶴原家は火事になり、未亡人と久禄の死体が発見される。
- 久弥は放浪後、高林先生のもとへ戻り、先生が「あやかしの鼓」を打ち、鼓の音が明るく変わった直後に息絶えているのを発見する。
- 久弥は三人の殺人犯として新聞で報じられ、観念した久弥はここまでの経緯を遺書として書き記し、鼓を壊して自らも命を絶つことを決意する。