
「スイミングスクール」の物語のあらまし(物語の結末に触れています)です。「スイミングスクール」未読の方は気を付けてください。心に深く残った点も書いています。
この物語は、主人公である久保田早苗が、母・春菜との複雑な関係を抱えながら成長し、自身の家庭を築く中で、母の死をきっかけに過去と向き合い、母の愛情を再発見する過程を描いています。若い頃、母の期待に応えられず、家を飛び出した早苗。しかし、時を経て母の訃報に接し、遺品整理の中で見つけた一本のカセットテープが、母娘のわだかまりを解きほぐす鍵となります。
テープに吹き込まれていたのは、幼い早苗の声と、それを見守る優しい母の声でした。それは早苗が知らなかった母の一面であり、彼女の心に温かい光を灯します。この発見は、早苗自身の娘であるひなたへの愛情とも重なり、世代を超えて受け継がれる母性の絆を強く感じさせます。
物語の終わりでは、早苗は母の死を乗り越え、過去のわだかまりから解放されたかのように、娘のひなた、そして夫と共に前を向いて歩み始めます。かつて母との関係で傷ついた「スイミングスクール」という場所が、娘のひなたにとっては楽しい成長の場となるなど、過去と現在は繋がりながらも新しい未来へと続いていく様子が示唆されます。
「スイミングスクール」の超あらすじ
物語は、専業主婦である久保田早苗が、母親・春菜の突然の死の知らせを受けるところから動き出します。早苗は、かつて教育熱心な母との間に深い溝を感じ、家を飛び出した過去がありました。母の期待に応えられなかったこと、そして母からの辛辣な言葉は、早苗の心に長く影を落としていたのです。
実家の整理に追われる中で、早苗は多くの遺品に触れます。その中には、母が大切にしていたレコードなども含まれていました。そして、ある日、一本の古いカセットテープを見つけます。何気なく再生してみると、そこには幼い頃の自分の声と、優しい母の声が録音されていました。それは、早苗が記憶していた厳格な母とは異なる、愛情深い母の姿でした。
このカセットテープをきっかけに、早苗は母の本当の想いや、自分に向けられていた愛情の深さに気づき始めます。同時に、自身の娘であるひなたの成長を見守る中で、母としての感情もより深く理解するようになります。ひなたがスイミングを習い始め、楽しそうに通う姿は、かつて自分がスイミングを辞めさせられた記憶とも重なり、感慨深いものがあります。
物語の結末では、早苗は母の死から時間が経ち、心の中で母との和解を果たしたかのように見えます。過去のわだかまりを乗り越え、夫と娘ひなたと共に、穏やかな日常の中で未来へと歩んでいく姿が描かれます。母から娘へ、そしてそのまた娘へと、形は変われども愛情や記憶が受け継がれていく様が、静かに、しかし力強く示されています。
「スイミングスクール」を読んでみて感じたこと・心に残った点
高橋弘希さんの「スイミングスクール」は、母と娘という最も身近でありながら、時に複雑な感情が絡み合う関係性を軸に、記憶の継承、家族の絆、そして個人の成長を丹念に描いた作品だと感じました。読み進めるうちに、主人公・早苗の心の揺れ動きに深く共感し、彼女が過去と向き合い、母の愛を再発見していく過程に心を打たれました。
物語の序盤で描かれるのは、早苗と母・春菜との間の冷え切った関係です。1990年代前半、お受験戦争が過熱する時代背景の中、春菜は娘の早苗に過剰な期待を寄せます。偏差値が将来を決定づけると信じ、早苗がその期待に応えられないと、露骨に失望の色を見せる母親。特に、中学受験の失敗や進路選択を巡る対立、そして「あんたを堕ろすつもりだった」という衝撃的な言葉は、早苗の心に深い傷を残し、母娘の間に決定的な亀裂を生みます。この描写は、教育熱心な親が陥りがちな罠と、それによって子供がどれほど追い詰められるのかをリアルに伝えており、読んでいて胸が痛みました。早苗が家を飛び出し、母と連絡を絶つのは当然の帰結と言えるでしょう。
しかし、物語は単なる断絶で終わりません。春菜の突然の死が、早苗に過去と向き合うきっかけを与えます。遺品整理という行為を通して、早苗は母の生きた証、母が大切にしていたものたちに触れます。その中で見つかった一本のカセットテープ。これが、物語の大きな転換点となります。テープには、幼い早苗が将来の夢を語る声、そしてそれを優しく促す若き日の母の声が記録されていました。「パパ」と呼ぶ相手が実父ではなく伯父であったという事実も、当時の複雑な家庭環境を匂わせつつ、それでも確かに存在した母娘の温かい時間を浮かび上がらせます。この録音を聴く早苗の心情を想像すると、驚きと共に、長年封印してきた感情が堰を切ったように溢れ出したのではないかと感じます。厳しく、理解しあえず、時には憎しみすら覚えた母の、知らなかった一面。それは、早苗にとって大きな救いとなったはずです。
このカセットテープというアイテムの選択が、非常に巧みだと感じました。デジタル化が進んだ現代において、アナログなカセットテープは、それ自体が過去の温もりや手触りを伝える装置として機能します。上書きや編集が容易ではないメディアだからこそ、そこに記録された声は、より生々しく、かけがえのないものとして響きます。このテープが、断絶していた母娘の心を繋ぐ架け橋となるのです。
また、早苗の娘・ひなたの存在も、この物語に光をもたらしています。ひなたは、祖母である春菜とは直接会うことはありませんでしたが、早苗を通して、そして早苗が再発見した母の記憶を通して、間接的に春菜と繋がっていきます。ひなたが「スイミングを習いたい」と言い出す場面は象徴的です。かつて早苗は、母の意向でスイミングを辞めさせられ、進学塾へ通わされました。その「スイミング」という行為が、世代を超えてひなたに受け継がれ、今度は本人の自主性によって選択される。ここには、過去の束縛からの解放と、未来への希望が感じられます。早苗が、ひなたのやりたいことを尊重する姿は、自身が母親から受けた教育方針へのある種のアンチテーゼであり、彼女自身の成長の証でもあるのでしょう。
物語の終盤、春菜の死から時間が経過し、早苗が「ようやく全てを土に返しても咎められない気がしてきます」と感じる場面は、深い印象を残しました。これは単に遺品を処分するという物理的な意味だけでなく、長年抱えてきた母へのわだかまりや罪悪感といった心の重荷を下ろし、精神的な意味で母の死を受け入れ、供養するという行為なのだと感じます。そして、娘のひなたが縁日で無邪気に願い事をする傍らで、早苗が「みんなが健康であることだけを祈る」というささやかな願いを持つ姿は、多くの困難を乗り越えてきた彼女がたどり着いた、飾らない幸福の形なのかもしれません。
この作品を通して描かれるのは、完璧ではない家族の姿です。誤解やすれ違い、時には深い傷をつけ合うこともあります。しかし、それでも血の繋がりや共有した記憶は消えることなく、時間をかけて形を変えながら受け継がれていく。春菜の愛情は、不器用な形ではありましたが、確かに存在し、カセットテープを通して早苗に届きました。そして早苗は、その愛情を胸に、今度は自身の娘ひなたへと愛を注いでいくのでしょう。
「スイミングスクール」というタイトルは、物語の核心に巧みに結びついています。それは早苗にとっての苦い過去の象徴であると同時に、ひなたにとっては未来への希望や成長の場となります。水の中を泳ぐという行為は、時に息苦しさや困難を伴いながらも、それを乗り越えた先にある自由や達成感をもたらします。人生そのものを暗示しているかのようにも思えました。
高橋弘希さんの筆致は、登場人物の細やかな心理描写に優れており、特に早苗が抱える葛藤や、母への複雑な感情が痛いほど伝わってきました。決して派手な出来事が起こるわけではありませんが、日常の中に潜む人間の心の機微を丁寧に掬い取り、読者に静かな感動と考察の余地を与えてくれる作品です。母と娘の関係に悩んだ経験のある人、あるいは家族との間に何かしらのわだかまりを抱えている人にとって、この物語は一つの光を示してくれるかもしれません。読み終えた後、自分の親や子供、そして家族との関係について、改めて考えさせられる、そんな奥行きのある物語でした。
まとめ
高橋弘希さんの「スイミングスクール」は、母と娘の複雑ながらも深い愛情の物語です。主人公の早苗が、確執のあった母の死をきっかけに、遺されたカセットテープから母の真の愛情に触れ、過去のわだかまりを乗り越えていく過程が胸を打ちます。
世代を超えて受け継がれる記憶や絆、そして新たな家族との未来への希望が静かに描かれており、読後に温かい余韻が残ります。家族という普遍的なテーマを扱いながらも、登場人物の心の機微を丁寧に描き出した、心に残る一冊と言えるでしょう。